それって趣味に本気だからじゃなくて趣味を言い訳にしたいだけじゃない?
最近試してみて実感したことには、人はちゃんと寝ないとダメ、ということだ。
でもこれ、あんまり長続きしない。
長続きさせたいな、って話。
ちゃんと寝るのは大事
ちゃんと寝るとどうなるか。
なんとなく感じているだるさとかが改善する。
ああ、あれ、体調悪かったんだなあと、そこで初めて思える。
でもそれは、普通に戻った、というだけのことでしかない。
当たり前なので大事に思えない
普通の状態、というのに慣れるのは早いものだ。
たとえば本当に体を壊して、普通の状態のありがたさを実感したなんて経験があれば、また違うだろう。
でも、そこまでじゃない人、なんとなくだるかったけど改善した、くらいの人は、ありがたみが薄い。
なので、しばらくすると睡眠によってその状態が作られていることをコロッと忘れてしまう。
あるいは、喉元過ぎれば熱さ忘れる、というやつか。
ほんとに昔の人はうまいこと言うのが好きだな。
とまれ、寝ることの重要性を軽んじ、『時間は有限だ! 有効活用しなきゃ!』なんてお題目で夜更かししてしまう。
実際、『遅刻する!』という実感は切実だし、なんだかんだで3時間くらい寝ればほどほどに回復するしで、起きれちゃうんだよね。
そこが問題だ。
夜更かししてもなんとかなってしまう
加えて、こんな理由もある。
なんとかできることは、人間はなんとかしちゃう。
たとえば、会社でも学校でも、時間単位で寝過ごすのはよほどのことがなければしない。
たとえ遅刻してしまうにしても、実際に遅刻しそうになれば(そして、それで叱られるなどの理由があれば)、謎のエネルギーに満ちて一瞬で身支度を整えてすぐさま出かけられる。
そして、いったん動き始めれば惰性が働くから、そのまま仕事も続けられる。
なんとかなっちゃう。
見た目だけだけど。
効率に目を向ける
残念なことだけど、認めなければならない。
睡眠時間を削って物理的な時間が増えれば、起きているときに得られる情報の量は増えるかもしれない。
でも、間違いなく質は落ちている。
もっと言うと、それ以外の時間、つまり本来起きている時間に得られる情報の質も落ちている。
夜更かしで増える時間なんて、本来起きている時間に比べればたかが知れている。
その時間を増やすために、それ以外の時間の質を落としてもいいものだろうか。
増えた時間は趣味のための時間。
それ以外は仕事の時間で、その効率は落ちても構わない。
だって、趣味に生きているんだから。
こういう意見もあるかもしれない。
でもなんかこう、それって、気に入らない。
趣味を言い訳にしているようにしか見えない。
それって、趣味に生きてるって言えるのだろうか。
なにかもっと、かっこいい方法があるような気がする。
効率を上げないでいい理由なんてない
もちろん趣味も仕事もほどほどでいいって人もいる。
でもそれって、どっちの効率も落とすのが、ほどほどに楽しむ秘訣なんだよ!
っていう話ではない。
ほどほどでいいということと、効率を上げるための努力をしない、ということはイコールじゃない。
ほどほどに楽しむための効率が上がれば、ほどほどに楽しめることが増える。
突発的なトラブルが起きても、余裕があれば、ほどほどに楽しむ時間を持てる。
そうなれば、もっとたくさんのことをほどほどに楽しめたり、どんなときでもほどほどに楽しめたりするはずだ。
・・・ほどほどがゲシュタルト崩壊してきたような気がするけど、それ以前にこの言葉の意味を知らなかった。
むすび:なおここまで受け売りです
効率という言葉の方が自分にはしっくりくるのでそう言ってるけど、これを生産性という言葉に変えると、自分の時間を取り戻そう! の内容のパクリになる。
ちゃんと生きよう・・・って気持ちになれる一冊。