お気持ちに対するお気持ちを見るたびに
じゃあお前さんはあれかい?
わざわざ自分の気にいらないお気持ちを見て気分を害するためにツイッターをしてるのかい?
そんなことしてないで好きな人の情報でも追ったらどうだい?
とか思うんですけれど、残念ながらそういったタイプの人類には「お前さんが噛みつかずにはいられないのと同じくらい、苦言を呈してる人は目障りな気持ちになってるんだよ」というのが伝わることはあまり期待できなさそうです。
それはそういう人種がそういう人種であるから、という理由も半分くらいはありますが、やはり平時のツイッターとライブなどのイベントの行動を同列に語っているというのがいまいちな部分でしょう。
どう例えたら伝わるのかな、と思っていて思いついたのが「美術館で騒いでる人間がいたら鑑賞どころじゃなくなるだろ」って話でした。
これについては伝わるような気もします。
まあ、美術館じゃなくてライブ会場の話をしているわけですから、ライブ会場を美術館と勘違いしている側がおかしい、ということにしかなりませんけども。
やはり現状のように、噛みつかずにはいられない、居心地の悪くなるようなお気持ちを流して意趣返しするくらいしかできることはなさそうです。
そろそろ認知特性の話しとく?
ところで、こういうお気持ちを垂れ流す人間は、演者じゃなくて観客を見に行っている……というわけではもちろんないはずです。
いろんなケースがあるとは思います。
例えば単純に至近距離で叫ばれてなんも聞こえないとかそういうこともあるかとは思います。
飛び跳ねるとかしなくても、純粋に背が低い人にとっては背が高い人は邪魔ですよね。
そして、そこまでどうしようもないケース未満だったとしても、人間の注意力というのは千差万別なので、問題に思う人と思わない人が出てきてしまいます。
視覚や聴覚のノイズを、都合よく無視できる人間とできない人間というのがいたりするんです。
- 認知特性についての本を読んでみた。いろんな人間がいるんだなとわかった。 - アルパカのサンドバッグ
- 会話で『とっさに返事を返せない』という悩み。認知特性テストの結果を傘に着て言い訳しよう! - アルパカのサンドバッグ
これは機体性能みたいなものなので、訓練である程度どうにかできる部分はある一方で、それこそ平時と異なるイベントのような場では、どうにもならないことのほうが多い気がします。
もちろん訓練によってどうにかできる人やできた人もいるのでしょうけども。
そしておそらくお気持ちをする人類は、このノイズがうまく処理できないタイプであることが多いのではないかなと思います。
要するに、ライブを楽しむために最適な能力を持っている感覚強者と、そうではなくむしろノイズを拾いすぎてしまう感覚弱者がいるんですね。
足を引っ張る気はないけども
これについてはだからどうという話ではありません。
弱者を慮れというつもりはありません。
もちろんそういう人もいるんですけど、個人的には弱者に強者の楽しみを奪う権利があるわけではないと思ってます。
ただこういうことを考えてみると、なかなかに現状のライブという空間の難しさが見えてくる気がします。
ついでにこういう感覚という面以外にも、個々人のライブの理想像が異なる、みたいな問題もあります。
趣味嗜好やら、今までに経験してきた現場の慣習やらで、ライブの「あるべき」を好き勝手に抱いているわけです。
そういう人類が、同じ場所に大量に投入されて自由に楽しむ。
それがライブという空間です。
うーん。
改めて書いてみると、これで全員が満足できる時間を過ごせると思うほうがむしろどうかしてますね。
そもそもライブってのが万人向けのものではないというか、神経質な人には向いてない媒体なのかもしれません。
ライブに限らず合う合わないってあるよね
まあ、そういうことを言い出したら、なんでもそうですよね。
唐揚げやカレーだって好きではない人がどこかにはいますし、アニメや漫画、舞台に演劇。
いろんな媒体があって、みんな自分に合ったものを自由に選んでます。
ライブに向いてないなら向いてないなりの楽しみ方を選ぶしかないです。
スポーツとかがそうですよね。
自分でやるのが好きって人もいれば見てるだけで満足できる人もいます。
まあ現状の音楽シーンの最大手がライブっていうことを考えるとなかなか厳しい特性を引いちゃったな〜って感じで悲しくなってきますけどね。
とはいえ自分に向いてないってことを自覚できないままに、世間が悪いと毒を撒き散らす怪物になるよりは少しは来世に期待できるようになるんじゃないかと思うので。