労力を下げるのはいいけど頻度を下げるのは良くないなって
なんかなんでもそうな気がすることなんですが。
今までの経験に照らし合わせても当てはまる気がすることでして。
それがタイトルの通り、頻度を下げるのがよくなさそうということ。
何の話かって
そのまんまなんですけど。
例えばこのブログ記事もそうなんですよね。
ある程度頑張って、毎日更新をしたりしてました。
しばらくして、記事を書くのにも慣れてきて、他のことにも手を出したくなってきて。
そんな時にできるのは、その取り組みにかけている1日当たりの時間を減らして毎日変わらず続けるか、頻度を減らして何日かに1回の取り組みにするかの2択です。
で、今までは頻度を下げちゃってたんですよね。
そんな変わらんやろーとか思って。
でもたぶんそれが間違いで。
徐々にフェードアウトしていった。
という結果になっています。ブログ記事の履歴を見たら一目瞭然ですね。。。
ブログもそうだし、ギターもそう。
動画編集のほうもフェードアウト気味です。
もちろんやろうと思えばやれるんですが、やろうと思うまでの腰が重いこと重いこと。
あんまり上達を感じられなくなったとかでそこはかとなく飽きてきて、他のことに目移りしてそのまま手が遠のく……。
なんでだろーとか考えることもしてなかったんですが、アラフォーに足を突っ込んだところで、この原因が共通しているような気配にようやく気付き始めました。
いままでは原因が存在することにすら気付いていませんでしたね。
毎日やることでようやくその場に踏みとどまれてた
じゃあその原因はなんなんやろなという話ですが。
話は単純で毎日やらなくなったからですね。
そもそも人間というのはやらないとどんどん衰えていく生き物、、、というのはいくらでも話に聞きますが、特に年齢が30半ばを超えて運動機能でその言葉を実感することが増えてきて、あれ、これって趣味の話も同じことなのでは? と思い至ったというか。
上達を感じられなくなってたとか書いてましたが、よくよく考えると下手になっていくのをどうにかこうにか毎日やることで防いでいたというのが実際のところなんでしょうね。
まあ、それでじり貧になっていたとか、同じところでいつまでも足踏みしている、というのもそれはそれで真のような気がするので、いかんともしがたいというか、じゃあどうすりゃええねんという気持ちにもなりますけども。
いまさらどうすればよかったのかを考えても仕方ないか
とはいえがつづきますがとはいえとはいえ。
今更そのことを嘆いたり、どうすればよかったのかを考えても仕方ないので、まずはそのあたりまで戻っていくことを考えたほうが有益な気がします。
考えるというか、手を動かせということになるんでしょうが。
というわけでこの文章も長いこと下書きで書きかけのまま眠らせていたのですが、あきらめて世間にさらしていこうと思ったわけです。
この決意が今夜まで続いていればいいのですが。
続いてなかったので数日経ってからどうにか上げるに至りました。
改めてタイトルを見てみると、労力を下げるというのもちょっと違うというか、タスク自体は変わってないけど能力が上がった結果として短時間でこなせるようになる、というのが正しいと言うか健全と言うか、そんなかんじなんだろうなあとか思いつつ。