個人とか企業とかの違いってなんだろうね
#個人勢Vtuber なんてタグがトレンドに上がり、わらわらと無数のアカウントが便乗しているのを眺めつつ。
そろそろVに手を染めて1年くらい経つのでいままで見聞きしたものをもとにしてなんやかんや考えてみます。
個人だとか企業だとか
そんな話。
なんか違うのか?
というか、何が違うんやろな、という。
そこまで網羅的に見たというわけでもないですが、なんとなくそれっぽいことがわかってきたので書き残しておきます。
まず同じところは、配信の中身ですね。
話が面白いとかつまらないとか。
歌やらゲームやらイラストやらが、上手いだとか下手だとか。
当たり前ではありますが、個人に紐づくスキル的なものは企業に所属したら急にバフがかかるというものではないです。
まあ養成学校とかありますけど、たぶんそういうところに入ってデビューまでいける人、個人でやってもそれなりにのし上がれると思うんですよね。
いま「企業ならオーディションとかあるし、ある程度の品質は担保されてるはず」みたいなことが脳裏をよぎりました。
でも現実はあんまりそうなってない気がしますし、それ言ったら個人だって「企業の助力無しでバーチャルに受肉できた」という一定のハードルは超えてるわけで。
そこまでの情熱があれば、あとはもう個人の素養次第じゃないですか。
企業からサポートが得られる、なんて要素も思い付きますけど、これも同じだと思います。
助けを得るために動けるかどうかは結局その人次第なので、企業に所属してなかったとしても、どうにか詳しい人を探し出して頼ることはいくらでもできるわけで。
とか書きながら、3Dの謎技術を駆使してバーチャルで卓球するとかいう、企業の力の体現みたいな配信を眺めているわけですが。
これは個人の能力を超えてるんで別の話ですね。
あと企業自体がそもそも例外みたいなところがあります。
ともあれ、ここで同じっつってるのは、あくまで一人の配信者ができることは同じだよねという話で、企業Vだからゲームがうまいとか歌がうまいとか話が面白いなんてことはないよね、ということです。
そしたら違うところは?
となるのですが、今まさに出てきた謎技術やら、それを使える設備があるというのは確かに明確な違いでしょう。
ただ、企業によってはそんなもん保有してないってこともあるので、普遍的な内容ではありません。
普遍的なものとしてはやはり「ピンハネがある」というところが一番大きいのではないかと思います。
気にしない人は気にしないようですが、スパチャはその全額がまるまる配信者に渡るわけではありません。 ただでさえ消費税がかかりますし、YouTubeはそこから3割を持っていきます。
残った6割をどう分けるかは企業ごとに異なるでしょうが、何割か持っていかれるだけでも配信者の手元には半分も残りません。
つっても個人の場合でも6割しか残らないので、駄目でもともとみたいなところはあるかもですね。
むしろりんご税のほうがでかいとかありそう。
というのはさておき。
YouTube以外でも、お金を払うタイミングで企業とそれ以外では常に企業の取り分がついて回ります。
割合は公開されていないものの……というか公開されていないからこそ、結構な割合が取られているんだろうなあという邪推が生まれるわけで。
実際のところ邪推をせずとも、一般的な会社なら裏方に払う給料のために半分近い金額をハネるのは普通のことですからね。
そんなことを考えたときに、特にお金を払うことに抵抗のあまりないリスナーにとってでかいファクターになるのですが、自分のお金をどの程度配信者に渡せるか?
という部分がでかくなってくるわけです。
お金以外の部分で異なるのは、ある意味お金をハネる根拠になる部分なので同じことというか表裏一体というかですが、集客力ですね。
これもどこの企業でもあるわけではない……みたいなことを言い出すといろいろ悲しくなってくるのですが。
とはいえ規模の大小は問わずとも、箱そのものへのファンというのが生まれて、多少なりともその人たちに自動的に見てもらえる、というのが企業と個人の違いです。
それによって何が変わってくるかというと、チャット欄の賑わい方が変わってきます。
人がいるところに人は集まるものですから、単にわいわいやりたい人というのは人の多いところに行きたくなるでしょう。
逆に、自分が相手を支えている実感がほしい、みたいなタイプは個人に行くと良いように感じます(こういうのはそのうち破綻しそうですが)。
さておきさておき
つらつらと書き連ねてきましたが、でも現状の界隈ってこれと特に矛盾しないような気もしますね。
人間の多数派は多人数でわいわいやってりゃ楽しいタイプですし、新規参入が見込めるのは当然ながら企業になります。
それで水が合うならそのまま居着いて貰えればよし。
違和感を感じたら界隈を離れるか、もしかすると個人を見に来て、ずぶずぶとハマって抜けられなくなるかもしれない。
現状そんな構図になってますよね。
もしかすると何でもそういう構図なのかも。
いずれにしても、本人の能力は企業も個人も変わらないけど、環境的な面、特にリスナーに関わってくる部分で異なってくるんじゃないかな、ということを書いてみました。
結果的には現実は特に問題なく、企業と個人の性質に即した形になってるっぽいなということで面白みのない結論ではありますがこのへんでひとつ。