事実と意見を分けて話してるつもりだったけどよく考えるといまどっちなのか伝えてないことに気付いた
タイトルで落ちてるシリーズ。
話すのが苦手
です。
まあ得意な人ってそもそもそんな多くないとは言いますけどね。
ただ自分の場合はちょっと筋金入りというか。
……あるいはその、自分の場合だけは特殊というのもみんなに共通しがちなことなのかもしれませんが。
くじけずに話を続けます。
どれくらい苦手かという話は、中学生くらいのときに遡ります。
厨二病の後遺症とでもいうんですかね。
その頃はまだ標準的なくらいの苦手意識だったと思うんですが。
あるときに思ったんですね。
「自分の理解力を高めれば質問する必要なくね?」
と。
そこからはコミュ障まっしぐらです。
いやそれ以前からいじめられがちの根暗な子供だった気もしますけど。
事実と意見は分けろ!
さて、そんな話は実はどうでもよくて。
本題はこちらです。
こんな話、聞いたことありますよね。
話をするときには事実と意見を分けろ、みたいなやつ。
前述の通り、僕は厨二病の後遺症に苦しむ身ではありますが。
それでも社会において、必要最低限の社交的スキルというのはどうしても必要になるんだな……というのはなんとなく感じているわけです。
なので、その「事実と意見を分ける」というのは意識してたつもりだったんです。
まあ、つもりだけだったんですけど。
できてなかった。
まあそのなんと言いますか。
「これは自分の意見だな……」とか、そういうことを話す時に考えてはいたんですけど。
まじで考えてるだけだったんですよね。
で、あるときに「意見」を伝えてるつもりだったんですけど、相手が「事実」として受け取ってるっぽいことに気付きまして。
それでようやく気付けました。
話していることが意見であることを伝えないと、聞いてる方には事実か意見か区別できないのだと。
いや、当たり前すぎて何言ってんだこいつって感じだと思うんですけど。
自分でもちょっと何言ってるかわからないですし。
そんなわけで
コミュ障を言い訳にして対人スキルの獲得を怠りまくっているとそんな当たり前のことすら気付けなくなって怖いよ、みたいなそんな話でした。
一歩引いてみると、他のことでも初学者は少しでも経験していればわかる当たり前に気付けなかったりしますよね。
なにがわからないかわからない状態というか。
会話においてもそれは同様なのかもしれません。
そもそも僕の場合は日本語のリスニングとスピーキングができるだけで、なんとなく会話の真似事をしてただけだったのかも。
なんか怖いことに気付いてしまったかもしれない。