なんでグラブルは楽しくて現実はつまらないのだろう

なんてことを考えた

社畜事情で目標だのなんだのということを考える傍らで、そんなことを考えました。

まあ、グラブルが楽しい理由はわりと単純なんじゃないかと思います。

グラブルって楽しいんですけど。
でも、すごい面倒な目標とかをこなさないと強くなれないという側面があります。
十天衆だの最終解放だの、正直あとどれくらい頑張れば辿り着けるのかわかりません。

でも団長の皆さんは、そんな苦行とも思える目標に毎日コツコツ取り組んでるわけですよね。
誰に言われるでもなく、自発的に。

モチベートされやすい環境

上記のような、客観的には苦行とも思えるクエストに楽しんで取り組む。

それはなんでか?と考えてみると、その理由もいろいろ思い浮かびます。

ゲームだから、というそもそも論もあれば、もっと細かいサイクルの目標をこなすことでいつの間にか壮大な目標にも近づけるようになっているとかの現実的な理由もあるでしょう。
他にも、ストーリーが魅力的なので先を知りたいというモチベーションが湧きやすくなっているとかいう理由もありそうです。

現実でやるべきことそのもの

で、上記の理由って、そのへんの自己啓発やら仕事術みたいな本で自分をやる気にするための方法として書かれてることと一緒なのでは?

などと供述しており感じました。

逆に言うと。

そういった要素が言わなくても用意されているからグラブルは楽しい。

そういった要素を自分でイチから考えなければならないから現実は楽しくない。

という風に言えるのではないかと感じました。

こんなグラブルはクソゲー

ついでに、「どんなグラブルならつまらないか?」というのも考えてみたんですが。

たぶん「一番引きが弱い属性で戦わなきゃいけない」とか、「たいしてうまくもないイベントを進めなきゃいけない」とかじゃないかなと感じました。
グラブルに限らず、これらは単純に苦行ですし。

グラブル楽しい楽しい言ってますけど、イベントに比べるとわかりやすい実入りが少ないメインストーリーはあまり進められておらず。
その理由が、上記理由で説明できてしまうなーと改めて納得しました。

100章まで進めるとこのキャラが最終上限解放できます!
くらいしかモチベーションがないんですよね。

最大の違いは何なのか

じゃあなんでそういった楽しくなる要素が、現実には用意されていないのでしょう?
ということもついでに考えてみます。

で。

やっぱりそれって、身も蓋もないんですけど。

消費者か、生産者かという話になってくるような気がします。
金を払う立場か、払ってもらう立場かとも言えますね。

どういうことかっていうと、グラブルとかいうゲームって「ユーザーになんたらかんたらな体験を提供する」だのなんだのと謳ってますよね。
「自分たちは世の中を良くするために活動している」ともっともらしい理由を掲げて。

まあ実際にその目標が現実と一致しないとうまくいかないのは確かでしょう。

が、その一方で「金を稼ぐため」「ユーザにお金を落としてもらうため」という目的が存在するのは否定し難い事実です。

グラブルはユーザに金を払ってもらいたいがゆえに、ユーザに一見苦行とも思える作業を楽しいと錯覚させるための努力を積んでるわけですね。

一方で現実では、そんな努力をしてくれるのは誰か?といえば自分しかいません。

そこを怠っているがゆえに、グラブルは楽しいけど現実はつまらない、という状況になっているのかなあ……。

などと供述しており感じました。

結論。

結局は甘えんなってことになるんだと思います。

誰かに金を払ってもらいたければ努力が必要。

それを楽しいと思いたければ工夫が必要。

それを用意するのは自分以外にほかならず。

それをしないままに現実がつまらないとかいうのは流石に甘え。

そんな感じで。

そんな世間の皆さんにとっては当たり前なんだろうなあと思しきことをグラブルなんてゲームから学ぶアラサーの朝。

……逆に、金を払ってほしいと思えないから工夫しようという気にもならないのかな……?

B! LINE