必要なものは大抵の場合、消臭剤じゃなくて掃除。
だったりするのかなあ、と。
トイレ掃除の日課の経験を鑑みるに思うわけです。
そういう、どんな物事にも原因が(大抵の場合は)あるんだろうなという話。
ちょうど昨日の飲み会で飲みすぎて今日一日頭痛で倒れてたら記事の投稿が遅れている今の僕のように(馬鹿)
毎朝のトイレ掃除
日課にしてます。
もはや習慣になってしまいました。
忙しいと忘れますが。
何でそんなことしてるのかというと、そうです、イシキタカイ界隈ではそこそこ有名な(気がする)あのゾウにそそのかされたクチです。
この習慣。
人の嫌がることを率先してやるとか、そういう人生におけるなんやかやをアレコレするみたいな方面では今のところ役には立つ気配はありません。
強いて言うなら、タイトルにもあるような気付きを与えてくれたなあ……と言うくらいです。
とはいえこうして1日の記事のノルマを凌ぐ助け程度にはなってくれている(間に合うとは言ってない)わけで。
何でもやってみるものです。
ちなみに
トイレ掃除といっても全然気軽なもので、紙を厚めに巻いて、手洗いで濡らしたうえで便座とか見える範囲の汚れをさっと拭き取るだけ。
それ用の紙とかは買うのが面倒なので使ってません。
あと、床は範囲外です。
座ってる(婉曲表現)ので。
最初だけはいろいろ(婉曲表現)こびりついてたりするので取るのが大変ですが、毎日やっていればそこまで頑固な汚れにはならないですね。
本当に、ついで(婉曲表現)で済ませられます。
臭さには原因がある
そういえばそうと、トイレ掃除をするようになって気付いたことがもう一つあります。
それが、臭うな?と思った時は大抵の場合はどこかしらが汚れている(婉曲表現)ということです。
当たり前といえば当たり前なんですが。
そもそも現在のトイレの仕組みなら、においがする要素はないですからね。
汚れているならそれを綺麗にしてやればいいだけのことで、それでにおいは消え去ります。
……消え去るんじゃないかな。
たぶん日頃感じる微妙なにおいも、長いこと交換してないタオルとかそのへんが発してるだけなんじゃないかなと思うんですよね。
面倒がらずに交換してやればそれで済むだけのことなんじゃないかと。
自分を鑑みて
で、何の話なんだこれってことなんですが。
トイレだけに限らず、対症療法でごまかしてることって意外に多い気がするとか。
惰性とか習慣に従っているだけでそもそも本人にごまかしている自覚がないとか。
そういうことに思いを馳せる一助になるのではないですかね。
(てきとう)
そうそう、ちょうど今ぼくの脇に鎮座している、片付けていない(片付けられない)荷物の山とかがそうですね。
自分の座るスペースだけ確保して満足してるうちに、いつしかそれが目的になってしまっていると言うか。
掃除しよう掃除しようと思っていたはずですが、最近はそれを思い出すこともなくなってました。
まじで掃除しよう(思うだけ)