周囲の喧騒というか叱責や怒声が気になって集中できない内向型気味の人間ができること
集中できない
ことがよくあります。
理由としては、周囲の喧騒。
ぶっちゃけ、誰かが誰かを叱っている場面ですね。
休日のたびに怒号が飛び交う向かいのマンション、いつも頭ごなしに叱りつけるお母様にげんなりしていたのだが、とうとう息子さんがキレたみたいで今日はまた一風変わった家族ドラマ(音声のみ)が展開されている。
— 怒り狂うアルパカ a.k.a. 青木勇太 (@takoyaki_bot) 2017年8月12日
家の外から聞こえるママの罵声に声援を送ってみよう 何かが変わるかもしれない
— 怒り狂うアルパカ a.k.a. 青木勇太 (@takoyaki_bot) 2018年6月4日
外から聞こえる騒がしいお母様の怒声が単語レベルになってきていよいよ知性が退化してるのを感じる
— 怒り狂うアルパカ a.k.a. 青木勇太 (@takoyaki_bot) 2018年6月21日
職場のみならず、家にいてもこんな感じでツイートする程度には精神をかき乱されています。
原因について
どうもこれ、僕の精神が弱いだけと思っていたところがあったのですが一概にそうでもないらしく。
認知特性と呼ばれる感覚的な部分とか、外向・内向といった性格的な部分で説明できるところがあるようです。
それぞれ記事にもしていますので、気になる方は見てみてください。
ざっくりとだけ説明しておくと、
認知特性というのは「聞こえ方は人それぞれで、周囲の騒音をうまく閉め出すことができる人がいればそれが下手な人もいる。下手な人は周囲の騒音が気になって作業が手に付かない、ということになりがち」という話で、
内向型・外向型というのは「集中の深さは人それぞれで、内向型は集中するのにいちいち時間と準備が必要。外向型にとっては作業中の人との会話はむしろ作業へのスパイスになるが、内向型にとっては作業を完全に中断されるひどく不快なものである」という話です。
でまあ、言い訳と言われてしまえば返す言葉もないんですが、どうも自分はこれのコンボに当てはまる性質のようです。
対策
とはいえ作業環境を自由にするのはなかなか難しいもの。
特に奴隷、もとい社畜の立場においては、そのようなことを言い出せば身勝手と排斥され、最悪職を失うことになりかねません。
無職のときは「いいじゃん、辞めようよ!」と気軽に言えた気がするのですが、やはりいざ働きだしてみるとしがみつくので精一杯で、依存街道まっしぐらな自分がいます。
現実は厳しい
……現実は案外優しいって言ってる人たち、元気にしてますか。
僕はあんまり元気じゃないです。
とか愚痴ってても仕方ないので、今までに読んだ話の中で実践できそうな対策を挙げてみます。
距離感を意識する
どの本で読んだかちょっと忘れてしまったんですが、本で読んだ話です。
周囲の喧騒、特に叱責の類を過剰に気にしてしまう原因として、「共感が強すぎる」というのがあるらしいです。
たとえばですが、自分以外の誰かが怪我をしているのを見て自分も痛いような気がしてしまうことってありませんか?
これって特に子供のうちは起きやすいようで、自分と他人の区別がついていないから起きること、みたいです。
その切り分けが苦手な人は前述の状態に陥りやすいようですね。
子供っぽいとかじゃなくて、感覚的に苦手な人と得意な人がいると。
で、そういう人は自分と相手の間に壁がある、とイメージしてみると良いらしいです。
壁があって、距離がある。
自分と、いま話しをしている人たちは別の存在である……と意識するわけです。
もちろん、こうして書いてあることを見ると当たり前のこと、と僕でも思います。
でも、感覚的にそれらの情報の取捨が苦手な人って、いざその場に立つとうまく処理できずにさも当事者になったような気まずさを感じてしまうんですよね。
もう一つ
あった気がするんですが、書いてるうちに忘れました。
健忘症かな……
思い出したら書き足します。
うまく割り切ろう
この辺の話って、できる人からすると「ただの言い訳」ってなる気がします。
なんなら、できない側の人から見ても「見苦しい言い訳」とか思われるかもしれません。
でも、できないものはできないんです。
例えるなら体力がないとかそういうレベルの話。
フルマラソンを走る体力がない人がすることは、走り方を学ぶ以前に体力を作るところから始める必要があるわけです。
もちろん、その部分を成長させてくれとか、その成長を待ってくれと雇っている側に要求するのは筋違いです。
そこはクリアしてる人を向こうも雇ってるつもりでしょうからね。
(言うまでもなく、そういう「体力がない」人はホモ・サピエンスの少数派です)
気が滅入る話ではありますが、独立して生きる能力がない以上はその能力を身につけるかうまく誤魔化すかの2択しかありません。
死ぬのも面倒ですしね。
なんとか騙し騙し生きていきたいものです。