認知症、現状を正しく把握する力があろうとなかろうと悲しむ心はあるってことは忘れないようにしたいよね
お盆絡みでそんな話を。
今更はデフォルトです。
認知症っつーか
親戚の一人が認知症というかボケと言うか、どう表現するのが現代の 頭の悪い 口うるさい人たちを逆なでせずに済むのははよく知らないんですけど、とにかくそんな感じなんですよね。
具体的にはとっくの昔に亡くなったその方の母親だとか、嫁いだ娘だとかが会話に当然のように出現する感じです。
たまに聞く分にはエンタメ感というかホラーっぽくて面白いのでそこまで嫌いではなかったりします。
ただもちろん、それを普段から聞かされている人(家族の人)にとってはいい加減うんざりな案件みたいで、だいぶ温度感が違ってまして。
温度感っつーか
温度差というか、まあはっきり言っちゃうとけっこう辛く当たっちゃってるんですよね。
「またそんな訳のわからないことを言って!!」
みたいな感じの趣旨の発言を棘むき出しにして乱射してくわけです。
普段はどうなのかわかりませんが、顔を出すといつもそんな感じで。
もしかすると来客(僕)があるからちゃんとしようみたいな意識も働いてるのかもしれません。
逆効果なんだけどね。
ちゃんとしよう。
そう思っているであろうことはなんとなくわかるんですけどね。
いかんせん逆効果なんですよね。
あまりにそれが日常になってしまってるせいでどれだけひどいことを言ってるかという自覚をまったく持ててないっぽくて。
ボケてない人たちからは「(ボケちゃった人が)変なこと言ってすまんな」みたいなことをたびたび言われるんですが。
でも個人的にはそのボケが理由になって家庭内いじめみたいな状況になっているという状況のほうがドン引きというか。
よっぽどやべーなこいつらとか思ってしまうわけです。
手心と言うか……みたいな。
コミュ障なんでそんな指摘をする気は起きないんですけども。
折り合いつけるのって難しそう
まあ、そういう状況になってしまうのも慮ることはできます。
それまでの人生でそんなことを言い出さなかった人が突然キジルシのカルマを獲得するロールプレイに走り出すようなもんですからね。
その変わりように戸惑ってしまうところはあるでしょう。
さらにそういった変な言動に対して反応しようにも、加減がわからず言いすぎてしまうみたいな状況なんでしょうね。
とはいえ、それが日常に溶け込んでいるせいでそれを顧みる余地がないというのは恐怖でしかねーなと感じます。
普段から我慢してると大変そう
この問題って、普段からボケとツッコミの加減がわかっているような間柄ならもう少しマシなのかなあとか思うんですよね。
それで全部解決するとかそんな簡単な話ではないでしょうけど。
とはいえジャップの古い家庭では言いたいことを飲み込んで我慢するのが美徳みたいな風潮がありますよね。
お互いがまともな間はまだ良いでしょうけど、その風潮を守ったまま片方がまともじゃなくなったら、残された方はなんというか約束を反故にされたような気持ちになりそうだなと感じます。
ボケに転向するかも思考
これはあれですよ。
人間は、いつかボケに転向して一生を生きていく覚悟に目覚めるかもしれない。
そういう前提をもとに、ある程度言いたいことを言い合える関係を構築していくしか対策としてはないんでしょうね。
適度なガス抜きと言うか……。
他人だと却って楽。
なんて話を、そろそろ一昔前になりそうなこんな記事を思い出しながら書いてみました。
認知症の母が嫌いになりそう、という相談に対する回答です。
他人だと「そういう人なんだ」で流せる、という話。
やっぱそういうのもあるんでしょうね。
他人に介護を任せるというのも、そういう意味では正しい判断なのかも。