やっぱりLはすごいんだよLは。
例によって遅い!
でも書いちゃう!
キンコン(もはやこの文字列、『革命のファンファーレ』の擬音か何かなのでは?という気がしてきた)西野さんの仮想通貨『L』の話。
いろんなところでいろんな人が話題にしているのを目にしつつ、退職でばたついたり自転車の出前でばたついたり高知行きでばたつたりツイッターで暇つぶししたりしているうちにスルーしてしまっていました。
ようやく件の記事を読みましたが、すごいですね。
「その人の信用度と、その人に寄せられる文字数は、そこそこ比例するから、信用経済時代の通貨は『文字』にすればいいんじゃね?」
通貨が通貨であるために必要なのは『それを通貨にしよう』という多人数の共通意識のみなわけで。
じゃああとは何の数字に価値を持たせるかだけが問題なわけで、それをSNSにおける『送られてくる文字数』とするのは非常に頭がいいというかセンスがいいというか、納得が行きます。
この辺、SNS使ってて文章を誰かに送ってる現代っ子は理解しやすいんでしょうね。
無駄な定型文だったり、形式を守るメールを書くことに心血を注ぐおっさんは理解できないんだろうなあ。
話は逸れるんですが、『いいね』にコストがかかることで『いいね』が良質になる、というVALU生存教本の内容にも通じるものを感じました。
この辺りの考え方に共通するのは、『評価する人の価値を認める』ということですよね。
文章を書くのって、単純に手間じゃないですか。
時間もかかるし、どう表現するのか、頭をひねらなきゃいけない。
もちろん、頭をひねるというほど頭を使っている自覚がない人もいるとは思いますが。
それにしたって寝ている間に文章が書かれることはない以上、手と頭を動かすことはどうしたって必要になるわけで。
そこを評価してあげるというか、価値を認めてあげる、しかも世間的に見ればどちらかというと評価される側の人が、という文脈は、なんだか暖かいなあ、という感じがしました。
まあ、そういう人たちだって別に一般人と同じように評価してて、それを僕らが知らないだけなんでしょうけれども。
『評価するのにコストがかかる』というマイナスの見方もあるとは思うんですけど、そのスタンスって、結局めぐりめぐって自分が損をするような気がするんですよね。
大学のレポートとかそんな感じじゃないですか?
自分の考えなんてものを頑張って書くのも、その辺の文章を適当に切り貼りするのも評価は同じ。
じゃあそれでいいじゃん、ということでみんながみんな低きに流れてるわけですよね。
低価格競争なんかと同じで。
そういう方向には未来はないですし、だから日本が今どんづまりになっているわけで。
仕組みに関しては全くわかりませんけれども、きっと頭のいい人が上手いことやってくれるはず。
これも引き続き観測していきたいですね。