厄介の叫び声、喫煙者の副流煙、洗ってない人間などのノイズに対処する方法。
感覚のノイズ
ノイズの多い世の中です。
うるさいんですよね。
精神的に。
ライブでの話し声だとか、ピカピカヲタク棒だとか。
ご飯を食べているときの副流煙だとか。
電車で遭遇する洗っていない人間の匂いだとか。
そんなことに目くじら立てても仕方ない、注意する度胸もないくせに。
運良くその感覚への処理能力が高い人や単純にその感覚が鈍い人は好き勝手なことを言います。
なんでも認知特性の話に持って行くスタイルです。
いや面白いのよこれほんと。
で。
できればそんなノイズに煩わされない人生を送りたいものですよね。
ノイズ対策の前提を考える
というわけでちょっと考えてみました。
結論を言っておくと、気にしないでもいい精神状態を保つみたいな、消極的なやつです。
粗探しはうまくなる
で、最初に考えるのはこれです。
ノイズを気にして、仮に減らせたりノイズがない状態を経験できたとして、どうなるでしょうか?
という話。
こんな話をするからには当然結論は反証に使いたいわけなんですが。
実際、この方向で楽しもうとするのは泥沼です。
自分はけっこう長い間、ライブでこの方向に走っていました。
で、いつからだったか、同行者に「今回もひどかったねえ」というと、「え、そんなだった?」という反応が返ってくることが多くなってきていたんですね。
その辺りで思ったわけです。
自分は楽しみたいのか、アラを探したいのかどっちなんだろうと。
粗探しってうまくなるんですよね。
それってたぶん、不幸なことですよね。
単に嘆くための材料を集めるのがうまくなるだけだとすればなおのこと。
すべては観測できない
もう一つは、よかった探しにも終わりはないということですね。
その道のプロの感想って、舌を巻くという表現の正しさを感じ取れるじゃないですか。
ヲタク界隈でもメール職人には毎夜頭を抱えさせられています。
でも、きっと彼らも満足していないわけですよ。
もっと推しを感じたい。
みたいな感じで。
さっきから話がヲタク方向に流れていて恐縮です。
そもそも自分というフィルタを通してしか、観測という行為はできないわけです。
それを思えば細かい部分の濃淡まで一致した完璧な解釈などというものはそもそもありえないということがわかります。
人間のリソースは有限で、仮にプラスの方向に注ぎ込んだとしてもカンストすることはないわけですから、なおのことです。
好きなことを観測し尽くすことはできない。
できたとすればそれはただの能力不足と勘違い。
対策を考える。
以上を踏まえて、どうすればいいのかを考えてみます。
粗探しをするのは不毛。
よかった探しには終わりはない。
どうせ人の感覚を完全になぞることはできない。
できたとしてもそれは勘違いである。
とりあえず、この時点でなんとか頑張って精神論で乗り切ろうという雰囲気があります。
ここで考えるべきは、人の感覚は完全には理解できないという点ですね。
これは逆に言うと、自分の感覚は他の人には理解できないということでもあります。
ということは、自分の感覚というのは疑いようなく自分自身の唯一のものなんですよね。
さらに考えると、前述のノイズ。
このノイズに対する感覚も、自分だけの特別なものということになります。
迷惑極まりないことではありますが。
感覚を楽しむ。
というわけで、結論としてはそういうことになりますね。
ノイズを含めて楽しむ。
そのノイズの影響を、自分の位置から自分の感性で観測できるのは自分だけですよね。
「なら、その感覚を楽しむしかないじゃない」って首のない女の子も言ってました。
補足
もし納得できないなら、こう考えてもいいかもしれません。
おそらくその人とは、もう二度と関わることはない。
100年もすれば、その人の発するノイズは永遠に感じることができなくなる。
つまり、そのノイズを感じ取れるのはほぼ間違いなくそのときだけなのです。
どうでしょう?
なんだか急に、一期一会というか、大切なものに思えて来たのではないでしょうか。
思えてきた方へ
あんまりいないとは思いますが、詐欺とかに気をつけてくださいね。
思えてこない方へ
僕を含めた100年と言わずいまこの瞬間に消えてくれてもいいよとか思ってる人はもう少し素直になったほうがいいとは思います。