長所と短所は表裏一体、というのはよく考えると少しずつ身にしみてくる。
ものづくりが早い、というのをよく評価される。
その一方で、勝手な仕様の作り込みなんかをよく咎められる。
塩梅ってことなんだろうが、これも表裏があるよなあと。
評価を冷静に見つめる。
作るのが早いというのは、要するに迷ってないってことだ。
それはおそらく、仕様が曖昧で、『作るのが早い』という評価を受けない人ならば『ここどうするんだ……?』と迷ってしまうところなんだろう。
しかし僕は、妥当な仕様というか、そういう『つじつま合わせ』が得意なので、どんどん先に進められる。
でもその『妥当な仕様』というのはあくまで僕の中での常識の話だから、仕様で意図的に決めている部分とズレることがある。
そのズレと自分の認識が矛盾している場合には確認することもあるけれど、そもそも自分で決めてしまったということを無意識ゆえに見落としてしまっている場合には、確認しようという発想すら出てこない。
あとプログラマってすべてを理解しようとする発想だと学習できないから、そういう習性が身についてしまっているというのも言い訳くさくはあるが関係している気がする。
得意すぎて無意識。
あと、僕のつじつま合わせが得意というのはほとんど無意識で浮かぶもので、つじつまを合わせているという自覚はない。
ということは、僕がつじつま合わせで考えたことは僕にとってごく自然なものということになる。
ごく自然なものの存在を疑うことは難しい……『にんじんってなんでにんじんって言うの?』という、子供だけが発することのできる疑問のようなものだ。
そして人は見たいものしか見ることができない。
つまり、仕様書に書いてあるはずの、『ぼくのかんがえただとうなじっそう』と異なる部分は見落としがちになる。
誤解していると気付きにくい、思い込みの強い頭の構造をしている。
ということはミスに気付けないということ。
何を入力してもエラーを吐かず、何らかの出力が出てくるブラックボックスな関数のようなものだ。
そんな関数があったら使いにくくて仕方ないが、それは決められた出力が求められる環境だからだろう。
さらに自分を鑑みると。
母親が結構情緒不安定だったから、なんかいろいろなことと関連付けて無理やり納得するようになったのかな。
幸いにして、『自分が悪い』という方向に進まなかったのは、わりかし尖った遺伝特性(左利きとか、耳瘻孔とか)を発現させてしまったことによる引け目からか、あまり母の負の感情がこっちに向かなかったというのが大きい気がする。