なにを僕らは守ってるんだろ。
しゃちくポエム。
毎日がつまらない、働きたくない、こんな国に生まれて不幸だ、どうせ自分なんか。
このあたり、「誰しも一度くらい」の最たるものではなかろうか。
こんなバカみたいな社会で、国で、世界で、特に積極的に生きる理由もないよなあと思っている。
親にも言ってある。
僕は繁殖するつもりはない。すまん。と。
次の子供はうまくやってくれるでしょう。
そんな感じなので、退職の相談とかを上司にして、「やめたあとどうするんだ」なんて言われても、今の時点では「さあ」としか思えない。
仕事に当事者意識がないのも当然である。
当事者意識なんてものが存在しないのだから。
生まれる家庭や時代を間違えた、なんて話はよく聞くが、僕は種族を間違えたなあと思っている。
ただまあ、そんな感じでとことん人間に向いていなくても、人間種族としての本能的なものは無駄にあるので、退職してもなんだかんだで頑張るし、生き延びようと努力するんじゃないかなと思っている。
だいたい今までそれでなんとかなってきたしなんとかしてきた。
なんとかなってないときも多かったと思うけど周囲の助けというか諦めのお陰でここまでこれてしまった。
これから先、どうにもならなくなるかもしれないけれど、まあそれで死んだら「ほらやっぱこの社会クソじゃん」と証明できた気分に浸れる。
それはそれで命の使い方としてはいい線行ってると思う。
そのうち今の労働時間至上主義も臨界線超えて崩壊するでしょ。
崩壊するのは実際に働いてる人が物理的に働けなくなって自壊するときでしょ。
物理的にいなくなるのはその自壊へのアシストとしては悪くない。
たぶん勘違いでしかないけれど。
サービス残業の実態を、そのとき働いてたところで最終日にぶちまけたら、打ち上げが契約違反じゃねって直談判の場に早変わりした。
うまくやれば、みんなを殺すことはできるんだ。
そう感じた。
自分がいなくても会社は回る。
それは事実だけど、もし恨みつらみが溜まっているんなら、自分に仕事を存分に依存させてからやめるというのも悪くない。
惚れさせてから振る。
どこの創作だよってな行動動機だけれども。
実際に恨みつらみはないだろうかね。
僕はある。
有給に重ねて予約したサービスのキャンセル料が合計いくらだったかは覚えちゃいないが、あったことだけは覚えてる。
キャンセル料以上に予約とその破棄に使う無駄な対人交渉用のエネルギーが大きいのだ。
みんな死ねなんて曖昧なことを言ってちゃダメだ。
明確な、全員殺すという目標を持とう。
そんな啓発に、そのへんの自己啓発本よりもよほど強い光を感じたのは僕だけではないはずだ。
全員殺そう。