反応しない練習と疲れない体をいっきに手に入れる本のシナジーについて紹介してみる
反応しない練習
仏教とは実はあんまり関係ないブッダ(ブッダを後世の人が崇め奉った結果が仏教)の、本来の考え方だとかそういうものを紹介するとともに、現代に応用するための方法をいろいろと書き綴った本。
人間関係の悩み、妬み嫉み、幸福感の麻痺と喪失への恐れ。
仏教用語でいうところの『渇愛』というやつですが、やはり人間はまだまだ農耕革命に順応できずに振り回されているんだなあと。
いうのはさておき。
人間は心に振り回されている。
たとえば嫌いな人と会ったあと、その人と別れた後にも嫌な感情が続いたとする。
それは自分の心に残った記憶に対して、嫌だという感情を抱いているからである。
現実にはもう目の前にその人はいないのに、嫌だという感情を抱き続けてしまう。
これは心に振り回されているということにほかならない。
という一連の流れをして『妄想』と呼ぶわけですが。
これについて、本書では『心の中と目の前で起きている現実を区別する』という方法が語られていました。
もちろんこの方法は大事だと思うのですが、具体的な方法論としてはちょっと弱いかな?
と感じる部分もありました。
そんなときに、次の本を聞きまして。
「疲れない体」をいっきに手に入れる本
まずはどんな本かというのを紹介しますと。
現代人は無意識に体を緊張させてしまうことが多く、そのために疲れやすい。
そこでこの本では、目、耳、鼻、口といった体のセンサーについての緊張を取り上げて、それを解消するためのワークを紹介している。
体のセンサーが強張ることによって人体にどのような影響があるか、それをマッサージなどの対症療法で対応するのがどれほどむずかしいのか、などが理解できる本になっています。
で、この本で触れている内容に、『距離感を意識することで、自分と外の世界を区別する』ということがあったんですね。
この説明の背景としては、自分に関係のある物事ほど、冷静に判断できず、距離感をつかみにくいということがあります。
関係ない第三者の方が、冷静な判断ができることってありますよね。
悩みを誰かに相談するというのも、当事者以外の方が冷静に物事を見れるからなわけです。
説明はこう続きます。
嫌いなものとの距離感が意識できないままだと、自分と対象の区別ができない。そのため、いつまでも自分の中に嫌いなものが残っているような感覚から抜け出せなくなってしまう。
これ、先の本であった、心に振り回されている状態と同じこと言ってますよね。
むすび:体の使い方の『マインド編』と『実践編』として。
というわけでAudibleで聞いた2冊の本に共通項が多いなってことで紹介してみました。
この2冊は、お互いに内容を補完して捉えることができるように思います。
- 『反応しない』で語られるブッダの思想を身につけるためのエクササイズとして、『疲れない』を利用する。
- 『疲れない』のトレーニングをする動機づけとして、『反応しない』の考え方を学ぶ。
そんな感じで。
ちなみに、例として取り上げた『心に振り回される』以外の部分でも、目の使い方など共通する部分が多いです。
Audibleは定額サービスなので、似たような本をいろいろ聞いて、理解を深められるのが良いですね。
実際に本を買うときは、どれか一冊を『人気がある』とか『安い』とか『誰が書いているか』とか、適当な理由で選んで、その一冊だけで満足してしまうことが多いです・・・ケチなので。
ところでこんな話を見てると、やっぱり千年単位では生物ってそこまで変わらないんだなって思います。
サピエンス全史という、人類史をざっくばらんに語った本があるんですが、それを読むとそんな超絶上から目線が得られますので、そちらもおすすめです。