Step! ZERO to ONEを思い返すところには、どうやらアニメと現実はつながったということらしい。
今回得られた結論。
- アニメと現実は相似の関係にある。
- 現実のヲタクと、アニメの沼津の民は相似の関係にある。
先行研究
1stライブについて、「素敵なライブだった」は何か足りず、「素敵なAqoursだった」も違って、「Aqoursだった」が自分の感想。声を当ててますとか、同じ衣装と振りで踊りますとかでなく、9人が一心に輝こうとするひたむきな姿が本当にAqoursだった。Aqoursを見た日だった。
— 前魚-step! ZEROtoONE- (@mae_u_o) 2017年2月26日
この方のツイートを見た。ちなみにこの前後のツイートもけっこう尖ってて面白かった。
で、このツイートを見て自分なりに今回のライブについて考えてみる。
以下本文。
違和感のないのが違和感。
まず思い返したのは、前に書いた記事(『Step! ZERO to ONEさんも大役背負わされて大変だなと思った。』)でも触れたとおり、妙に綺麗に印象が上書きされた『Step! ZERO to ONE』だ。
この楽曲は確かに不自然なレベルで大役を任された。そのはずだ。
だが、それにしては、違和感がない。
当初の意図がどうだったとか、そんな小賢しいこととは無関係に。
違和感を覚える程に違和感なく、印象がライブのものにすり替わっている。
この点がどうにも気になっている。
書き換えられた背景を考えてみる。
原因を考える前に、そもそもの、この書き換えが起きた背景について考えてみたい。
いくつか要素があるので、羅列してみる。
- ライブはアニメをなぞる形で行われた。
- アニメはAqoursが結成されるまでの話=前日譚である。
- アニメは最終的に君ここに繋がった。
- 一方で今回のライブはs021につながった。
これらをまとめると、以下のようになる。
アニメはAqoursの前日譚であり、そして今回のライブはアニメを追体験する形で行われている。
そして、最終的に、アニメもライブも1stシングルに繋がっている。
僕はこれを、アニメと現実の足並みを揃えるための試みである、と感じた。
(要するに先行研究と同じ結論である)
そして。
現実とアニメの2つのAqoursが、ライブを通して綺麗に相似になったと感じた。
Aqoursに感じた相似と、それまでの嘘臭さ。
ここでいう相似というのは、ストーリーというわけではない。
別に、最初に誰からも見向きもされなかったというわけではないし、メンバー集めに悶着があったわけでも、2年前の確執があったわけでもない。
では、何が相似なのか?
ここで言っている相似とは、ファンとファン以外の勢力図だ。
引用したツイートの前後でも似たようなことを言っているのだが。
アニメの嘘臭さについて
アニメの放送で語られた『ゼロからイチ』という表現は、放送直後の時点で、現実のAqoursからは程遠いものだった。
先達の影響もあって、無条件にファンになる人は多い。
ちょっとしたイベントであってさえも、下手なコンテンツよりよほど人の動員がある。
そんな状況で、しかしアニメでの演出は次のようなものだった。
『イベントでの得票数がゼロ』
『ゼロをイチにしたい』
・・・これらの演出に感じる嘘臭さは、表立って語られることこそなかった。
だが、多くの人が感じていたと思う。
ラブライバーはバンドリを推せ
コンテンツ的に、失敗はありえない。
どうせ勝ち確。
『だから、僕が全力で応援する必要はない。』
そう思って、一歩引いたところから見ていたヲタクも多いはずだ。
偉いせんべいも言ってる。バンドリを推せと。
アニメの内浦=現実のライバー。
だが、現実に目を向けてみると、やっぱりまだまだ、サンシャインを知らない人の方が多い。
紅白に出たμ’sだって、知らない人が多い現状だ。
『なんでゼロなの!?』
そう叫びたくなってもおかしくない程度に、僕らの大好きなこの作品は、まだまだ、ぜんぜん、これっぽっちも、世の中には知られていない。
伊波さんは、2日目の挨拶でこう言っていた。
『もっともっと多くの人に知ってほしいという欲が出てきた』と。
ライブが成功した直後に、どんな大口を叩くのだ、と思ったものだが。
ここまでに述べた考えを踏まえて、この発言を見てみると、その意図がわかってくるように思う。
つまり、内浦の外へ『ゼロからイチ』を成し遂げようとする高海千歌(アニメ世界)と、現在のファンの規模に満足せずにさらなる飛躍を目指す伊波杏樹(現実世界)が、完全にリンクしている。
この相似において、ヲタクはアニメ世界における内浦の民である。
そしてこの発言によって、現実のAqoursの歴史は、アニメ世界に寄り添う形となった。
むすび:Aqoursなら、10って言っていいのかもしれない。
というわけで、ライブの感想ツイートを先行研究として、自分なりにライブに感じたことを書き留めてみた。
アニメにおける内浦の民と現実におけるヲタクとは、相似の関係にある。
ここからどのような結論を得るかは、それぞれのヲタクに委ねるほかないが。
この考えを採用すると、「10」についても、もしかして発声してもいいのかもしれない。
一緒に輝こうとしてもいいのかもしれない。
そんな気持ちになってくる。
錯覚かもしれない。