G'sの号外の意味がわかりかねるので考えているうちに自分の傲慢に気付いた。
タイトル通り、いまいち号外にまでした意味がよくわかりかねる内容だったので、その中身について考えてみよう・・・と思ったのだけど、よくよく考えてみると、よくわからんと思いながら読むものを理解できるはずがないのだった。
一週間遅れで読んだ。
先週のことになるが、G’sの号外が発売されるということで楽しみにしていた。
買って、G’sの4月号を読んだあとになって目を通したのだけれど。
正直言って、首を傾げてしまうような内容だった。
大部分(26~47ページ)が以前のインタビューの転載であり、それ以外も大部分が既出情報のまとめ記事ばかり。
初出情報としてはMIRAI TICKET衣装でのライブ後のメッセージという体の記事、Aqours Next Step! Projectの説明くらいで、割合としては全体の1/3程度だ。
正直なところ、初出の情報量だけを見れば、G’s magazine本誌で増ページすれば収まる程度に見えてしまう。
ただこの感想が偏っているというのは事実だ。
というのも、Aqours Next Step! Projectについてはライブで一通りの情報を見ていたことと、僕が号外を開いたタイミングがデュオトリオ衣装投票終了直前だったということがあるので。
相対的に情報の鮮度的な価値が落ちてしまっていたため、僕が価値を感じなかったというのはあるだろう。
号外という言葉を使っていることからも、鮮度が何より重要な情報であるという意図が読み取れる。
状況が変われば、また違った見え方になる。
・・・というところまで書いて、いまひとつ話の結論が見えずに一晩おいておいた。
そして昨日、また改めて号外を手にして、もう少し読み込んでみた。
すると、いろいろ見えていない部分が見えてきたので、もう少し書いてみる。
まず、僕の無知さを思い知った。
号外に目を通さずに書いたD組の記事とか、高槻かなこさんの記事とか。
なんていうか、大意としては同じことが書いてあって、とても恥ずかしくなった。
公式と思考が似ている、それ自体をミーハー根性で喜ぶのは別に悪いことではないと思う。
でも、公式と同じことをしていても仕方ない。
公式でいいものね。
インプットが多すぎても考えもの、それ自体はきっと正しくて、現時点で僕にとってはインプットが多い。
ただ、それとは別に、いまのままではインプットが足りないのも事実らしい。
そのあたりに課題を強く感じるとともに、言い訳にしていてはいけないなと感じた。
もう一つ感じたのが、改めてインタビュー記事を読むと、以前に読んだときよりも深いところまで感じられる(ような気がする)ということだ。
それはライブという大舞台を観ることで彼女たちへの理解が深まったからかもしれないし、単純に2回読んだからかもしれない。
いずれにしろ、深く感じられるというのは以前は読み取り損ねていた部分があったということだ。
そういう意味では『転載乙』などとはとても言えない。
いい記事だから、いま改めて読み直すと違った発見があるから。
おそらく、そういう自信に基づいた再掲であり、号外なのだろうと、きちんと読んでからそう思った。
・・・読んだのは高槻さんのインタビューだけだけど。
むすび:やっぱり否定から入っちゃいけないね(否定から入ってる)
というわけで、号外に対して否定的な見方をしていたけど素直な気持ちで読んでみたら自分が色眼鏡をつけていただけだったよ、という話。
この手の失敗はたびたびやらかすのだけど、今回もまたである。
まるで成長していない・・・。