良いって言葉の使い方ってむつかしいですよねって
『良い子』って言葉、あまり好きじゃないんですよね。
『やばい』と同じで、便利すぎる気がして。
いや、『優しい』と同じ感じかな? ともあれ、そういう話です。
『良い』の曖昧さ
良いって、それ自体ではかなり曖昧な言葉ですよね?
まず、時代によって移り変わる概念的な部分があるじゃないですか。『正しい』みたいな。
時代とか大きいこと言っちゃいましたけど、TPOによってすら細かく変わってきますよね。
他にも、一定の尺度での中で正負を表すという部分もあります。『高い』とか、『大きい』とかみたいに。
この意味でも、前後の文脈、つまり『何において』良いのかということをはっきりさせないと、意味が変わってくることすらあるわけです。
そもそも、『どうでも』良いとか、『どっちでも』良い、なんて言葉もありますしね。
『良い』だけでは、何が言いたいのかなんてさっぱりわからないわけです。
なにが『良い』のか考えてる?
以前に考えたことがあるんですよ。
『良い子』、って何が『良い』んだろうって。
良いという言葉を使うとき、前述の通り、なんらかの尺度があることが前提となるわけです。
何かの尺度と照らし合わせて優秀であるから、『良い』と形容されるわけですよね。
じゃあ、『良い子、良い子』と誰かに言うときに、『なにが』良いのか。
そんなこと、考えたことあるでしょうか?
行儀でしょうか。行儀の良い子。なるほど。
マナーでしょうか。マナーの良い子。これもわかりますね。
でも、だいたいの場合って、そこまで考えて言ってないですよね。
便利な言葉だから、なんにでも使えるから。
なんとなく好ましいと感じる心情を精査せずに、『良い』という便利なテンプレートにあてはめてるわけです。
良いの裏には『都合』がある。
で、これって、ちょっと危ないよなと思っていて。
基本的に、『良い』って、それを言う人の主観で決まるじゃないですか。
親と子で考えると、親の主観で『良い』って評価してるわけですよね。
別に世間一般の平均値と照らし合わせているわけでもないから、完全に親の価値観に即して、『良い』『悪い』が判断されます。
Aさんの家庭では『良い』とされることが、Bさんの家庭では『良い』と言われないなんてことも、当然出てきます。
このような状態で使われる、親専用の『良い』。
さて、これにはどういう前提が隠れてるでしょう?
僕には『都合』という言葉が見えます。
自分にとって、相手が都合が良い状態にあるときに、『良い』という言葉をかける。
それって、自分の価値観を、説明もなしに相手に押し付けているようなもので。
そんな『良い』の使い方はしたくないものだなと常々思っているわけです。
むすび:だから嬉しい、というところまで伝える。
そんなわけで、良いという言葉を考えなしに使ってると『都合の良い』という意味になるよねって話でした。
特に、押し付けるように使っていると、そんな意味が出てくるような気がします。
『良い子だから静かにしてて』とか。
まさに、都合の良い存在であることを強要していますよね。
(もちろんうるさくしてたら対応しなきゃですが、この言い方は本当に適切かどうか?ということは考える余地があると思います)
なんとなく親子を例にしてますけど、友人関係でも同じだと思っています。
『良いやつ』なんて言葉はよく聞きますけど、冷静に考えると、かなり失礼な評価をしているのでは・・・なんていつも恐ろしく思っていたり。
考えすぎなんでしょうけどね。
素直に考えたら、『良い』と相手に伝えるのは、前にどんな意味があるかはあまり重要ではなくて、後に『だから自分は嬉しい』ということが続くというのが重要なんでしょうね。
『良い』というときには、『あなたの行動、あるいは存在は私を喜ばせている』、つまり『あなたには価値がある』というメッセージを送っていることになる、と。
それが子供の自己肯定感だかにつながるなんて話はよく聞きますよね。
ただ、やっぱりコミュニケーションとなると相手次第なところはあります。
後半のメッセージを汲み取るのができなかったりとか、変に考えすぎてしまうとか。
アドラー心理学にも、『感謝を伝える』のが大事とかいう話がありました。
相手がそこを汲み取れる人なら良いんでしょうけど、そういうのが下手な人もいますから、そういう場合にはもう言っちゃった方がいいんでしょうね。
僕ですが。