せっかくだし来年の抱負でも考えてみよう。
世間の波に流される程度の凡人であるところの自分には長いものに巻かれる精神というか必要に応じた世間への迎合が必要だと思う。
そんなわけで駆け込み需要ではあるのだけれども、来年の抱負とか考えてみようかなと。
ついでに、というかまず現状を確認するためか、今年を振り返る。
ヲタクとしては初日の出を某所で見ることができて、最初と最後のライブはAqours、適度に久保さんの活躍も見ることができた。
他者依存が甚だしい気もするが、ひとまず、個人的に充実していたと言ってよかろう。
自転車が全く出てこないあたり、やはりあのおもちゃは僕に取っては健康器具兼移動手段でしかないということのようだ。
仕事の方ではどうにもいまの会社で目指すべき方向が致命的、文字どおりの意味で、に能力的にも適正的にも向いていないという確信を持つに至った。
加えて、クソみたいな会社の仕組みが多数実行されて、転職に対して躊躇いがなくなった。
どこも一緒、なんて話もよく聞くけど、どこも一緒なら少なくともいまの会社にいる理由はないよね、という理屈だ。
周囲からは一応、当たった客が悪かった、という方向で僕を励まそうとしてくれている雰囲気が感じられる。
のだが、あいにくと僕は無理心中を挑んでくる相手を拒むほどの活力も気概も知恵も腕力もない。
バカにされて悔しくないのか、とか見返したくないのか、とか言われても、そんなバカとは関わりたくないですとしか言いようがない。
ついでに、やっぱり積極的に長生きしたくないし消極的に死にたい。
世界は滅ばないかなと常々考えている、滅ばない前提のもとに。
やはり歪んでいるなと感じる。
ずっと、なんていうか、不思議だったことがある。
世間にはなんで、頑張らないといけないというメッセージしか見かけないのか。
成功するのは頑張る人だけなのか。
巷に溢れる歌詞だってそうだ。
クズがクズのままでいられる世界はない。
ありふれた歌詞を提供するjpopやら、それより泥臭いはずの同人界隈にだって。
そんなことを思ってた。
でもある時気付いた。
クズのままでいたい、その一方で、クズとは関わりたくないなと思う自分は確かに存在するし、自分がどうあろうかという前にクズからは距離を置きたい自分がいることに。
誰だってそうじゃないか?
自分をどうこうする前に、目の前に脅威があれば、それをまず取り除こうとするだろう。
でも、自分がクズだったらどうなるんだ?
目の前どころか自分の中に脅威があるじゃないか。
どうしようもないじゃないか。
死ぬしかないじゃないか。
そう悟った。
もちろん死ぬのは怖いし死にたいなんて言ってるのはたぶん2割くらいしか本気ではない。
ならばどうするか?
まずは自分が、自分の大嫌いなクズでなくなる必要がある。
次に、これはこれでもう少し大変そうなのだが・・・クズを避けられるようになる、あるいは初めから寄ってこないような環境に身を置く必要がある。
・・・思うに、クズがクズのままでいられる世界はあるんだろう。
でもたぶん、本当は、それを僕は求めていない。
求めていれば、きっと、すでに見つけていると思うから。
なにより、自分の周りにクズがいることを脅威として捉えている自分がいる。
自分がクズでいられることを許容できるのなら、周囲も同じであることを許容できるはずだ。
それができない。
多分に僕は、心が狭い。
ようやっと、自分のやりたいことは何か、自分から考えるようになってきた。
まだまだ心がけ程度ではあるが。
だから、来年は、それを現実のものとする努力をする。
会社を辞める。
転職ないしは独立する。
不労所得を作り出す。
東京の外に拠点を移す。
内浦にゲストハウス的な施設を作る。
花丸さんのいる世界線を見つけ出す。
内浦に暮らす、ないしは通う。
まだ夢物語としか思えてないなあ。
理想を見つけて満足するようなつもりもないけど、いまのままだとまだそんなままで終わりそう。