マイナー好きってフットワーク遅いだけだよね。
マイナー好きとは何か?
マイナーなものが好きという嗜好、及びそういう人のことだ。
かくいう自分もその手合いである。
この手合いには、自分で自分がわからなくなるときがある。
つまり、マイナーなものが好きなのか?
はたまた、好きなものがたまたまマイナーだっただけなのか?
そんな違いだ。
前者ならなんとなく、いやらしい感じがする。
自分は後者なのだろうか。
そもそも、後者であるというのは良いことなのだろうか。
そもそも、双方に違いはあるのだろうか。
そんな話。
声を大にして言うべきことでもないと思うのだが、自分はわりと、マイナー好きと呼ばれる人種だ。
その嗜好は単純で、あまり注目されていないものが気になってしまうというもの。
ヒロインではなくてサブヒロイン、主人公ではなくてその相棒、などと言えば分かりやすいだろうか。
人気声優でなくて新人声優、アイドルでなくて地下アイドルとか、まあ、そういうことだ。
この嗜好は、競合が少なくて済むというメリットがある。
同じものを好きになった対象を競合と表現する時点で結論は出ている。
出ているのだが、もう少し遠回りに付き合ってもらいたい。
さてそんな嗜好なのだが、ときたま、自分が好きなものがたまたま世間的にマイナーなことが多いだけなのか?
それとも、自分が有利になるための戦略として、競合が少ないことを求めているのか?
そのあたり、自分でも分からなくなることがある。
たとえば、ある作品を見て、一番好きなキャラクターは誰か?ということを考えるのは、誰でもやったことがあるはずだ。
そんなとき、自分は本当にそれが好きなのか?ということを問うたことはあるだろうか?
自分は経験がある。
つまり、好きを考えているつもりで、誰が人気なさそうかを考えていたりするのだ。
それもたまにではなくて、結構な頻度で。
もはや目的と手段が入れ替わっていると言われても否定できない。
もっというと、後から冷静になって考えると、そもそもそこまで好きになる相手がいないだけだったりもする。
さて、マイナーであることを目的に好きを選ぶと、対象が本当に好きな人に申し訳ないだとか、そういう問題が浮かんで身動きが取れなくなるわけだが。
それ以外に、わざわざマイナーを好きになる理由はあるのだろうか、なんて考えてみる。
要するに、マイナーなものはなぜマイナーなのかという話だ。
そんなもの、単純に考えれば自明である。
メジャーなものより魅力が少ないからだ。
だが、マイナー好きという嗜好は、メジャーが持っているはずの魅力はスルーして、マイナーなものがもつ魅力に惹かれてしまう。
それは何故か?
自分の場合で考えてみると、好きというのは与えられるものでなくて見つけ出すもの、と考えているということが挙げられる。
つまり、ぱっと見でわかりやすいところではなく、あえてわかりにくいところ、こじつけてでも自分だけの好きを見つけに行くのがマイナー好きなのだ。
ただ、この嗜好は、もちろんメジャーなものが好きな人間の中にも一定数存在する。
マイナー好きの話をしてたんじゃないのかよ、と思われるかもしれないが、上の話はみんなと同じところを好きになるのは許せないという話だ。
好きになるものがメジャーかマイナーかは、関係ないのである。
これを考えたときに、ようやくタイトルの話が出てくる。
メジャーはメジャーになった時点で考察もその母数に応じて掘り尽くされるので、それ以上考察する余地があまり残らない。
だから、マイナー好きはマイナーなものが好きになってしまうといえる。
要するに、遊ぶ余地が残っているものが好きなのだ。
だが、ここで一つ疑問が出てくる。
マイナー好きがマイナーを好きになった時点で、マイナーはマイナーになっていなければならないのだ。
それはすなわち、本当に最初の時点、まだメジャーもマイナーもない時点では、マイナー好きはその場にいなかったということに他ならない。
要するに、動きが遅い。
動きが遅いから、メジャーなものは考察し尽くされてしまい、マイナー好きが目を向ける頃には、マイナーなものしか残っていない・・・。
そんなからくりに気付いてしまった。
マイナー好きというのはフットワークが遅いという証左である。
フットワークが軽ければ、メジャーなものが食い尽くされる前に、その中で存分に遊ぶことができる。
常々アンテナを張ることを忘れず、マイナー好きなどという負け犬の遠吠え的なレッテルで自分を貶めることのないようにせねばと強く感じた。