クズみたいな記事でも書き続ければそのうち数奇な人が気にかけてくれる。

かもね。

そんな未来を夢見て今日も比較的マシなゴミを作れるように……努力はしたくないので普通に生きた結果として生まれる余剰物が、結果的に誰かにとっての比較的マシななにかになるように生きていたい。

実体験。

例えばVALU。

しばらくお日様眺めるサンゲイジングマンとして活動してました。
今はもう社畜を言い訳にしてサボり続けてしまってますが。
なぜか1人、面白がって紹介してくれたりする人がいました。

ブログもそうですね。
なんかよくわからんタイミングでややウケの記事が生まれたりします……数える程ですが。
ありがたい限りです。

現在も、今年に入ったくらいのタイミングでなぜかアクセスが倍になってます。
細かい理由は思い当たるものの、それが継続している理由はまったくわかりません。

理由は不明。

なんでそんなことが起きるのか?
というとわかんないんですけども。
でもまあ、そんなことは当たり前ですよね。

どんな人がアクセスしてくれて、どんな反応を返すかなんてわからないですから。

少なくとも僕としてはそれなり以上……少なくともそれなりには……面白いと思って書いてますけど。
それなりはそれなりですし、そもそも面白い以外を優先して、とりあえずで公開してしまうことも多々あります。
この記事とか。

その中でたまたま記事の面白さが上振れするか、あるいはたまたまその記事が刺さる人が読んでくれるか……そんな幸運が重なることでこの手の「ハネ」は起きるんだろうなあ。

とそれらしいことはいくらでも考えられますが、それってやっぱり狙って起こせるものじゃないわけで。

褒められると辞めちゃう

でもこれ、もしかすると。

続けてればそのうち認めてくれる人が出てくるというよりも、その最初の1人が見つかるまで続けてただけという方が近いのかも?

って気もします。

更にいうと、このアルパカは「最初の1人が見つかるまで続ける」のが得意なのかもなあ。
などと人ごとのように考えてみたりしました。

というのも、逆に褒められると満足して辞めちゃうんですよね。

なんでだろう。

あれかな。

自分の中のどこかでは辞めたがっていて、そのきっかけとして「最初の1人」を利用しているとかですかね。

認めてくれる人が見つかった。
じゃあもうやめてもいいや。
認められたんだし。

みたいな。

クズすぎて自分でも引きます。
でもそういう気持ちはどこかにありそう。

「認められるまでは続ける」というよりは「認められるまでやめない」って感じですかね。

さてはて。

得意なフェイズってあるかも

1つ思うのは、これは人によって得意不得意が段階ごとに分かれるものなんだろうな、ということですね。

ゼロをイチにするのが得意か、イチを100にするのが得意か、みたいな。

得意というか、もはやどっちが好きで、どっちに情熱を傾けられるかというレベルの話だとは思いますけど。

承認欲求に振り回されてる

もうひとつ思いつくのはこれ。

そんな側面もありそうです。

褒められ慣れてないせいなのかなんなのか、めっちゃ低いところで満足してしまうんですよね。

自分の中のハードルを低くしてしまうというか。

低いところで満足してんなあ……という自覚はあれど、現に満足しているのでそれ以上やる気が起きなくなります。

まあいろいろ書いてますけど、そのへんの理由がないまぜになって、それまで継続してたことをやめちゃうことが多いんですよね。

辞めてもやり直せる。

ところでさっきから継続について偉そうに書いてますけど、いうほど継続してないアルパカです。

ブログも途中で何度か間が空いちゃってますし。
(褒められたわけではないですけど)

「禁煙に何回も成功している」みたいなジョークと同じ匂いを感じます。

でも、それでもいいのかって気もしていて。
別に、何度辞めてもいいんじゃない?
というか。

もちろん再開した時点で「やめるんじゃなかった……」とか後悔しますけどね。

特に技術的なものが鈍りすぎてて再開するのがつらくなるとか。
そういうのはあるかもでしょうが、それは言っても始まりません。

極端に考えれば、継続してる人だってご飯を食べたり寝たりしてる間は継続が途切れてるわけですしね。

単に再開するまでの期間が短いから、結果的に毎日やってる状態にいる。

それだけのことなんだろうなあ、と。

止められないから続ける。

僕の場合の継続はブログですが。

僕の場合、考えることが止められないんですよね。
考えすぎちゃうと言えば短所ですし、いくらでも考えられると言えば長所になる。
そんな特性です。

まあ、いくらでも悩み続けられるという方が現実には即してますけれども

で、止まらないそれを、えんやこらと形を整えて世の中に吐き出し続けている。

それがこのサンドバッグの現状であり。
つまるところ僕がしているのって、それだけなんですよね。

それだけってことはない……というか、もう少しいろいろしたほうが良いんだろうなとは思うんですけども。

さておき、たぶんこの「自分にも止められないなにか」っていうのは人それぞれ違うんだろうなあとか。

僕にとっては考えることがそれですけど、人によってのそれは音楽だったりイラストだったり小説だったりするんでしょうね。

まあ何が言いたいかって言うと数撃ちゃ当たるは真理だよ、とかそういうことです。

真理になるまで撃ち続けろ、が正確かもですけどね。

知らんけど。

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