憑依型のμ’sと操縦型のAqours。そんな感じの捉え方もあるのかなって。
参考資料
私の相方。
— 高槻かなこ (@Kanako_tktk) 3 March 2019
国木田花丸ちゃん!
お誕生日おめでとう!!!
相方?
相方という表現に見るキャラクター観
— 国木田花丸ート (@takoyaki_dead) 4 March 2019
相方ってことは個別に存在してるんだよな。なんか先代はデジモンテイマーズ感というか、同一視してた気がする。売り方にもそういう傾向があるような。というかむしろそっちに引っ張られているのか。
— 国木田花丸ート (@takoyaki_dead) 7 March 2019
などと、ちょっと気になってたりしました。
まあ比較対象なんてものは言うまでもなくどこかの先代しかありえないし、キャストとして興味を持っていたのは久保さんだけ。
そんな僕が、キャストとその演じるキャラクターの関係に言及するのも馬鹿らしい話ではあるのですが。
相方。
先代に関してはほどほどに中の人の情報も追いかけていたわけですが、そんな表現をしていた人はいなかった覚えがあります。
いたのかな。
そしたら前提が崩れますけど。
ちなみに中の人の情報は、追っていたと言うよりも中のひとりを単推ししてたら勝手に他の人の情報も入ってきた、という面が大きいです。
それが先代のときに得られる中の人の情報の大部分だったという話もあったりなかったりします。
で、両者の大きな違いって実はそこにあるんじゃないか?
とか思ってみたり。
売り方の違い。
もちろん両者は別物ですし、間違い探しのように何が違う?とあげつらうのもそれこそおかしな話です。
それはわかっているのですが。
ただ、先代と比べると中の人の売出しが強い。
今更といえばこれほど今更なこともないですが、僕らがAqoursにまだ不慣れだったころ、この点にネガポジ問わず何某かを感じたヲタクは多かったはずです。
いまではなんの違和感も感じませんから不思議なものですね。
記憶が正しいかどうか不安になるレベルです。
それでも確かに、当時はそんな空気がありました。
影響があるのか?
で、何が言いたいかっていうと最初のツイートですね。
それぞれを個別に売り出していることによって、中の人はキャストとしての自分とキャラクターとしての自分を切り分けることが増える。
そして、それが演者のキャラクター観に影響しているのでは?などと供述しており
そんな疑念を抱きました。
で、先代がデジモンテイマーズっぽくキャラクターと合体しているのに比べると、Aqoursってキャラクターを操縦してる感じなんだよなあ。
なんてことを思いつつタイトルを考えてました。
とはいえ、だから何?と言われてしまうと特になんでもないですという他ないただの思いつきなんですけどね。
それが与える影響……なんかあるんですかね?
そもそもそれが悪いとかどっちが良いなんてことを言うつもりもありません。
毒にも薬にもならない思いつきですね。
といいつつやや気になる。
とまあ、マーケティングがキャストの考え方に影響を与える部分があるのでは?という言いがかりを書いてみたのですが。
実際、この通りかどうかはともかく。
環境が与える影響というのは、絶対にどこかにはあるはずなんですよね。
Aqoursを語るとき、どうしたって先代の(あるいは先代と言わずとも他の)スクールアイドルを意識せずにはいられないとか。
逆に先代だって、他のスクールアイドルがいないから何にも影響を受けていないのかといえばそんなことはなく。
前例のないことをしている、という意識に影響を受けていた部分があるはず。
環境のことって普段は意識しませんから、気がつくと前提になってしまったりしますよね。
だからただでさえ難しいのに、それがスクールアイドルという一大コンテンツの環境となればさらに難しくなります。
そのへんから考えてみるというのも、コンテンツへの理解を深めるのに役立ったりするのかな……。
なんて思ったり思わなかったりしています。