投げやりと真摯はよく似ているんだなってプロ奢ラレヤーの固ツイを思い出して思った。
ふと思い出しました。
プロ奢ラレヤーN pic.twitter.com/4n75e4Frnn
— 怒り狂うアルパカ a.k.a. 青木勇太 (@takoyaki_bot) 7 June 2018
これです。
何十億人に嫌われてもいい、というのはある意味で投げやりな態度に見えますよね。
普通の神経なら、よく思われたいと思いこそすれども、悪く思われたいとは思わないはずです。
もちろん件のツイートも、嫌われたいとまでは言っていません。
とはいえその規模の人数から嫌われたら多少は思うところが出てくるんじゃないでしょうか。
少なくとも「まあいいや」とはならないですよね。
そういう意味で、どう思われてもどうでもいい……つまり、投げやりと感じられるんです。
しかしその一方で、とても真摯な態度のようにも感じられるんですよね。
特に大切な数人を、それ以外の全人類と天秤にかけてなお優先する。
これもまた、その辺の凡人には「せやかて工藤」と反応される行動原理ではないでしょうか?
そもそも、そこまで何かを優先するということが普通はできないと思います。
……少なくとも僕はできていません。
それ以前に、そこまで優先すべき関係に心当たりがありません。
本来なら心当たるべきなのかもしれませんが。
やはり日々のタスクに忙殺されることをこそ優先している自分がいます。
なんてことをもっともらしく語ってますけども、たぶん本人の言いたいこととはズレた解釈をしてるんでしょうね……。
根本的に価値観が違う
そんなことを感じています。
自分も大概、メジャー中のマイナー、くらいのマイノリティに所属しているとは思うのですが。
しかしそれはあくまでメジャーから外れない範囲でのマイノリティ。
根本的にはどこまで行っても凡俗です。
その一方で、プロ奢氏のレアリティはネームドレベル。
唯一無二というのがとてもしっくり来ます。
そんな彼だからして、全人類に対して「自分は必要か?」と問いかけることに躊躇いがないですし、確率論的に全人類から見捨てられることはない、と確信できるのでしょう。
とかいうのは的外れ。
なんでしょうねえ……繰り返しになりますけど。
自分の大切な人を何よりも優先するというのは本来は当たり前の行為のはずで。
それをかっこよさげに言語化すると、固定ツイートのようになる。
その順番が正しいのだと思います。
実際には、天秤にすらかけてないんじゃないですかね?
知らん人のことは知らん。
それだけなのでは。
だって知らん人のことは知らんわけですしね。
知らんけど。
なんてことを考えて
知らない人だとか、まだ起きていない未来とか、そういうわけのわからないものに気を使いすぎるとか。
そんなことで、本当に大事な人だとか、目の前の現実を見失う、なんてことがないようにしたいものだなとか。
そんなことを思ったという小並感。