現実と珈琲って似てるなって思いつつ、人を動かすくらい読めよってなる毎日。
現実も珈琲も。
そのままだといろいろと世間体やらなにやらではばかられることばかり。
しかし元の形がわからないレベルまで粉砕して、抽出すると役に立つものが得られる。
同じだ……とかよくわからないことを考えて現実逃避している日々が続いてます。
あるいは残り滓がいい匂いがするとか、肥料になったりするとかいろいろ使いようのある珈琲様をクソみたいな現実なんかと比べるのは失礼かもしれませんが。
それは果てしなくさておき。
人を動かすを薦めたい日々。
具体的にはやっぱりはばかられるので避けたいんですけど。
人間というのは認められたがる生き物であって、それをないがしろにしては何も良いことはない。
という趣旨の名著、人を動かすをそのさわりだけでもいいから読んでほしいなあ……みたいな気分になる日々です。
揚げ足とか皮肉とか、相手の思慮の至らなさを小馬鹿にするだとか。
それを言うほうは、確かに一瞬だけ気持ちいいかもしれませんけど。
言われた方はあんまり楽しい気分にはならないわけです。
もしかしたら理解できないとか、その人は言われるとうれしいのかもしれないですけどね。
ただそんなことをマウントを取るがごとく繰り返していたら、向こうからも相応のアウトプットしか出てこなくなる気しかしないけど大丈夫?
みたいな。
GIGOという言葉もあります。
ゴミを入れたらゴミが出てくる。
クソみたいな設計からはクソみたいな実装しか出てこない、ということなんですが。
クソみたいな言葉を掛け続けた相手から、キレイなものが返ってくることを期待できるはずがないわけで。
インの方を積極的にゴミにしていっても良いことはないんじゃないかな……みたいな。
ポイズン
そんなことを言いたい日々ですが、そんなことを面と向かって言うこともできないこんな世の中じゃ。
いや、世の中は関係ないですね。
僕の度胸がないだけです。
度胸がないので、こんなインターネッツの片隅で、サンドバッグを叩くがごとくブログを書きなぐる日々を続けているわけです。