ファイナルから2年経ってるらしいけどそんなこと僕は信じないよ
現実は残酷である
他人のツイートをストーキングしていたらこんな企画が知らぬ間に始まって終わっていたことを知りました。
彼女たちのその後/「ファイナルライブ」のあとのμ'sのこと - こづかい三万円の日々 #終わらない青春はここにある https://t.co/Hi70yeFLAP
— てぎ (@tegit) 2018年3月31日
【ブロガーの方々へ、大事なお願い】
— 生春@3rd (@Time_mrsi) 2018年3月21日
ファイナルライブから2年というこのタイミングでみんなでμ'sに関する記事を書いてみませんか? pic.twitter.com/lhhXHEeckr
そっか……ラブライブブログにカウントされてないか……。
と勝手に寂しい気持ちになってました。
まあ冷静に考えて無印の記事とか数年単位で書いていないので声がかかったら逆にビビるんですけども。
サンシャインですら怪しい気がする
そもそも雑記ブログですしおすし
冗談(半分)はさておき、びびったのはそんなことではなく。
どちらかと言うとまったくこの企画を知らなかったことですね。
声がかかるかどうかといえば間違いなくかからないのでそれはいいんですが、ほどほどに気になる話題でもあるのは事実です。
知ってたら勝手に書いてたかもしれないのになあ。
PVのおこぼれをもらえたかもしれないのになあ。
そんな気持ちになりました。
というわけで自分なりに書いてみようかと思います。
今更は弊サンドバッグの枕詞ですので。
まだ終わってない
とはいえ何年経とうが、正直なところ書くことは変わらない気がします。
終わってないんですよね。
終わりにしてないというべきか。
馬鹿みたいだと思われるでしょうが、にこりんぱなものぞえりも最終回を聴きませんでした。
終わりにしたくなくて。
そんな僕なので、僕たちはひとつの光の歌詞の『時を巻き戻してみるかい? no, no, no! 今が最高!』の『みるかい? no, no, no!』をコーラスか何かだとナチュラルに勘違いして何度でも今を楽しもう!みたいな歌詞だと思い込むみたいなこともやらかしてました。
(その後、CUTだかのインタビューで勘違いは正されました)
世界は進むけど
ただ、キャスト側は前に進んでますし、コンテンツの側もどんどん進んでいきます。
やっぱりぱいるさんとえみつんのラブライブなライブ(名前が胡乱)は、いろいろな意味で衝撃でしたよね。
コンテンツとしては、スクスタ発表によるμ’sの復活(?)が大きいところでしょうか。
例えが微妙に古いあたり、情報を収集していないのがよくわかります
となると、ヲタクとしても進まざるを得ないわけです。
それまでは言うなれば、μ’sロスに対して喪に服しているような状態だったわけですけれども。
いい加減、喪は明けなきゃなと。
まあ、個人的にはサンシャインの方で好き勝手やってる(婚姻届とか)ので、喪に服すとかどの口が言ってるんだと自分でも思うところはありますが。
これからも変わらずに。
ただ、やっぱり特別なんですよね。
あのときに終わりを迎えた、μ’sというグループは。
スクスタに出てくるμ’sは、たぶん、それとは違う存在として受け止めてしまう気がします。
キャラクターとして一番好きなのは国木田花丸さんですけれども、それとは全然別の次元で、μ’sは特別で。
終わってしまったけど僕の中では終わっていない……そういうμ’sと、新たに走り出すμ’s。
それらは今後、僕の中で同時に存在することになると思います。
とか言ってまたしばらくしたら手のひらをくるくる回すことになるのかもしれませんが。
ヲタクなので。
花陽はどうなるのかな。
そんなわけで、かなり女々しい内容ではありましたが無印に対しての気持ちと言うか考えを書き記すとそんな感じなのですが。
それはそれとして。
ひとつ、μ’sに対して気になることがあるんですよね。
Sidのどこかにあった、花陽に対しての……確か、絵里のセリフ。
μ’sのみんながばらばらになっても、花陽は地元に残って、みんなが返ってくるのを待ってくれると思う。
みたいなやつ。
確認したら、花陽Sidの最終話に対する絵里のコメントでした。
当時もえらい大層な呪縛を掛けてくれたもんだなとか思ったんですが、今見てもやっぱりこれは呪縛にほかならないのでは……。
もちろん2年程度では帰ってくるとかそんな話にはなりようもありません。
というかなんならこれ以降も延々とスクールアイドルとしての活動を続けるのでしょうけれども。
でももし本当に、そういうときが来たなら。
誰かに言われたからとかじゃなくて。
自分で考えた方向に進めるといいなあとか。
そんなことを、自分のことを遥か上空の棚の上に上げつつ、魔法使いのおじさんは思うわけです。
(Sidを読んだため文体がGODに引っ張られています)