外向型は厄介をこそ楽しむ?内向型がヲタクライブでこの先生きのこるためには理解が必要だ。

内向型を強みにする

以前も記事にしたこの書籍。

例によってPrime Reading対象なので、プライム会員なら無料で読むことができます。

ただこの本、数年前に出版された本なんですよね。
なのでもしかすると知らないのは僕だけかも……!?

なんて思うところはあるんですが、正直そんなことは今更なので気にせず紹介しています。

今回はライブにおける予想外の要素、いわゆる『厄介』と呼ばれる刺激に対する内向型・外向型ごとの反応の違いと、それに起因する性質を説明してみます。

内向型と外向型

まず、そもそもなんの話なの?
というところを簡単に触れておきます。
詳しくは前述の記事を読んでいただきたいですが。

この2種類の性質というのは、要するに人間の性格を表しています。

世の中には社交的な人、引きこもりがちな人、色んな人がいますよね。
それを決定しているのがこの外交的・内向的という要素です。

ただこれ、そこまで極端な話ではなくて。

内向的な人は必ず内向的な行動しか取らないのかといえばそんなことはありません。
たまには外交的に振る舞うことができたりもします。

逆に普段は外交的な人でも、時と場合によってはいつもどおりに振る舞えない、なんてことはあったりします。

そんな感じで内向と外向はグラデーションで分類されるものになります。

行動以外にも異なる部分

で、さっきから社交的だとか引きこもりだとか、性格的な部分ばかりを引き合いに出してますが。

この性質によって変わる部分というのは他にもいろいろとあって、そのなかのひとつに『幸せの定義』というものが存在しています。

つまり、(例えが極端ですが)ヲタクをしていて何に喜びを感じるかということですね。
これが、外向的・内向的という性質によって方向性が変わってくるわけです。

とはいえそれ以前に、まず『幸せって何なんだ』みたいな話がありますよね。

この本の中では『ドーパミンが出ること』というかなり夢のない現実的な線を幸せとしています。

というわけで、とりあえずそういう方向で以降も話を進めます。

ドーパミンの出方?

ドーパミンというのは要するに幸せを感じる脳内物質です。

これが出ると気持ちいいので、人間は無意識のうちにこれが出る行動を優先するようになります。
そして幸せを感じようとするわけです。

外向的・内向的という言葉的に、外向的の方がドーパミンが出やすいみたいな話かな?
と思うかも知れません。

が、実際にはその逆で、外向型はドーパミンが出づらく、内向型は出やすいみたいです。

どういうことか説明していきます。

ドーパミンが出づらい外向型

外向型は、ドーパミンが出づらいです。

『ドーパミンが出づらい』という字面って、外向型の活動的なイメージとはいまいち一致しないですよね。

でも実際はその逆。

ドーパミンが出づらいからこそ新しい刺激を追い求めて活動的になるということが、外向型が活動的である要因なのだそうです。

また、外向型は同じ刺激に対してはすぐに『パンダだー!』『もう見た』的な反応を返すようになるのですが。

それも外向型はドーパミンが出づらいということがわかっていると、理解できるようになります。
外向型は、同じ刺激に対してはドーパミンが出づらいんですね。

この性質こそが、外向型がスリルを求めがち、行動がエスカレートしがちな理由です。

ドーパミンが出やすい内向型

内向型は逆に、ある程度の刺激でドーパミンが出てくれます。
さらに同じ刺激に対しても、比較的飽きずにドーパミンを出してくれるようです。

このため内向型の人は、地味な作業に対して『よく飽きもせず続けられるな』と言われる集中力を発揮することが多いです。

良くも悪くも、刺激に対して敏感なのが内向型です。

逆に強すぎたり予想外の刺激に対して過敏に反応しすぎてしまうという側面があります。

このため、内向型は刺激を自分がコントロールできる範囲に抑える、つまり外出を控えるという傾向があるわけです。

ドーパミンは命すら左右する。

ちなみに。
ちょっと話は逸れるんですが、危険なスポーツに取り組む人っていますよね。

危ない山に登るとか、降りるとかがわかりやすいところでしょうか。

なんでそんなことをするんだろう?
命を賭けてまでするようなことじゃないでしょ?
とか思いますよね?

で、どうやらその理由にドーパミンが関わっているらしいです。

どういうことかというと、もうそういうレベルの危険じゃないとドーパミンが出ないくらい感覚が麻痺してて、そのせいで危険なことがやめられないという状態になってるのだとかどうとか。
リスクジャンキーってやつですね。

でもその後、ある人は瞑想とかそのへんの方法でもっと安全にドーパミンを出せるようになったらしくて。
そしたらピタッと危険な挑戦はしなくなったんだそうです。

それほどまでにドーパミンが出るか出ないかというのは、僕たちの行動に影響を与えるんですね。

集中の性質が異なる

もう一つ、外向型と内向型を分かつ要素に触れておきます。
それは集中の仕方です。

『集中に違いなんてあるの?』とか思いますよね?

実は外向型と内向型では、『集中する』という言葉の意味が大きく違っているのです。

一瞬で集中できる外向型

外向型の集中は、短期即決と言えます。

さながら臨戦態勢に即座に入れるようなものですね。
カッとなるとか、血が滾るとも表現できます。

要するに危機的状況に即座に対応しようと集中することが、外向型の集中と言えます。

即断即決向きの脳内回路

なんでそういう反応になるのかというと、外向型の体の仕組みがそういう風にできているから、という身も蓋もない理由があるそうです。

どういうことかというと、外向型は『考えてから行動に移すまでの経路』が短いらしいんですね。
脳筋とかそういうことではなく

脳へのアクセスするときも、即座に思い出せる短期記憶を軽くさらうだけ。
それだけで判断しようとします。

良く言えば即断即決ができるということであり、悪く言えば細かい部分を見落としがちということでもあります。

集中の妨害に強い

そんな感じで文字通りの短期集中な外向型。
なので、もし集中が途切れるようなことがあっても、すぐに集中し直せるというのが外向型の集中の特徴です。

というか、集中のスパンがもともと短いので、集中を乱されたとすら感じないことも多いかも知れません。

準備と時間が必要な内向型

内向型は、外向型の逆です。

つまり、集中には準備と時間とエネルギーが必要となります。
その一方でひとつのことに深く深く没頭できるという利点もあるようです。

非常事態に対する反応としては、頭が冷えるとか、冷静に自分のやることを見極めようとするとか、そんな感じになります。

……が、単に頭が真っ白になってしまうこともあるようです。

じっくり考える脳内回路

本の受け売りですが、内向型の集中は深い井戸の中で思索にふけるようなものだそうです。

脳内回路は外向型に比べて長いそうです。
それによって物事をいろいろな角度で考えるとか、いろいろなことを関連付けて考えることができます。

ただその一方で、何を考えるにも時間がかかってしまうために即断即決が難しいみたいです。

多動力とか言われてる現代にはなかなか難しい性質ですね

集中の妨害にめっちゃ弱い

また、前述の井戸に潜るという例えで考えると、深い場所に潜るためには当然ながらいまいる場所からそこへ降りていく必要がありますよね。
そのために準備だったり、時間だったり、エネルギーだったりが必要になるわけですが。

それよりも問題なのが、集中を乱されるときです。

このたとえの通り、内向型にとって集中を乱されるというのは井戸の底からいきなり引っ張り上げられるような苦行に等しいんですね。
当然ながらいい気分ではありません。

なにより、再び集中しようと思うと改めて準備と時間とエネルギーが必要になります。

内向型にとって、集中を乱されるというのは迷惑極まりないことなのが多少なりともわかっていただけると思います。

ライブで考えてみる

さて、ここまで内向型・外向型の特徴として、幸せの感じ方と集中の方法の違いについて説明をしてきました。

そのへんを踏まえて、ライブと絡めて考えてみましょう。

厄介……というとちょっと幅広すぎますね。
ここではひとまず、家虎を始めとした現状ではごく少数だけが発している楽曲に含まれない大声をあげる種類の応援行為について考えてみます。

で、ここまででだいたい何が言いたいかわかると思うんですが。
この手の応援行為に対して拒否反応を示すのが内向型ということですね。

そしてそれ以上に問題なのがこっち。
外向型に関してはこの手の行為を受け入れるどころか、むしろ積極的に助長していく動機づけができているところがあるという点です。

不意の大声=強い刺激

前提として、楽曲に含まれない大声というのは、単純に強い刺激ですよね。

このため内向型にとっては集中を乱される要素となります。
前述の通り内向型にとって集中を乱されるというのはかなり厄介な問題です。

厄介に対する文句への反応としてよくあるのが『そんなの気にしなければいい』というものです。
しかし内向型の集中するという行為は、そこまで簡単なものでないのは前述のとおりです。

その辺りの集中という概念の違いを理解せずに言い合ってる現状が、問題を大きくさせているように感じます。

また、内向型は刺激に対して敏感なために次を警戒してしまうという問題もあります。
そんな状態ではなおのこと集中するなんて無理です。

つまり内向型にとって大声で集中を乱されるというのは、ライブがそれ以降クソイベントになるということに等しいわけです。

反対側から考えてみると……

というわけで内向型の立場から、なぜ大声が迷惑なのか?
いろいろと書いてみました。

が、しかし。

外向型の立場で考えてみるとそういうことをする人の心理もある程度は理解できてしまうところがあります。

ガチで退屈なんだと思う

たぶん、厄介と呼ばれる人ってかなりの外向型なんでしょうね。

外向型は同じものを見ても退屈しか感じられないというのは前述のとおりですが。
さらに、外向型は細かいことを気にしないという特徴もありましたよね。

このコンボによって、外向型が退屈する状況は加速度的に増えていきます。

内向型にとっては状況や文脈などによって「違う」と感じられるものでも、外向型にとっては同じような退屈なものになってしまうということですね。

たぶん彼らにとってはそれこそが真実で。

おそらく、マジで退屈を感じてるんだろうなあ……と思うわけです。

彼らには感じられない細かな条件があることや、その違いを『同じじゃない』と考える人がいること。
まして、その差異こそを楽しむ内向型という人間がいることなど、想像もしていないんでしょうね……。

〜そして厄介へ〜

ちょっと話がそれましたが。

退屈な外向型は次に何をするでしょうか?

考えてみれば、その先の展開は自明です。

自ら働きかけて、『退屈な演目』に変化を与えにいくでしょう。

つまり、過剰な応援行為に走るわけです。
それが他人の迷惑になるかどうかは状況次第でしょうが……。

どっちがマシかという話。

外向型にとっては一度見た(ように感じる)演目を我慢して眺めるより、むしろ外的要因によって変化がついた演目の方が好ましいのかも知れませんね。

……というのは、内向的な自分にとっては流石に冗談だろと思っているんですが。
外向型・内向型というところから考えていくと、あながち極論というわけでもないのでは……?
と思えてしまうのが恐ろしいところです。

厄介の人的にはその辺どうなんでしょうね?

賛同はしかねるけど……

退屈だから迷惑行為に走るという結論にはもちろん賛同しかねます。

しかし、ライブで退屈を感じることの苦痛は僕も理解できるつもりです。

Aqours2nd埼玉の二日目。
すでに4回ほど見た演目を、細かい違いなんて目に入りようもないほど遠くから眺めたあのライブはなかなかにしんどかったんですよね。
細かい違いはおろか、スクリーンすら双眼鏡が欲しくなる距離。
さらにはじもあいの終着点からも遠いという三重苦でした。

アレはなかなか辛かった……。

しかも、同じ刺激を比較的楽しめる内向型と違い、外向型はその苦痛への耐性がまったくないわけですよね。
となれば外向型が感じる苦痛は、自分の感じるものよりも大きいことは想像に難くありません。

いやまあ、だから騒いでいいって話にはなりませんけども。

厄介は逃げ道。

で、こういうときにどうするのかですが。

内向型は、もう帰るか耐えるかの2択しかありません。
新しい刺激を自分から発するのは、それはそれで苦痛ですからね。

しかし外向型にとっては自分で刺激を生み出して退屈を紛らわすという逃げ道が残ってしまいます。
彼らにとっては退屈に耐えることそのものが耐え難い苦痛で。

ただそれだけなんでしょうね。

だから彼らは叫ぶんでしょう。

知らんけど。

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