半農半Xインターン。写真家の石川拓也さんに学ぶ、八日目。もうそんなに経つのか。
意識が低いのでしおりから拝借。
今日は石川拓也さんのお話を伺いました。
石川さんのブログというタイトル、文章、うーん、写真より文章を学びたい。
八日目。
今日は座学。
写真で生計を立てている、石川拓也さんという方を講師に迎えてお話を伺いました。
土佐町地域おこし協力隊、プロカメラマンの石川拓也さんの講座。アメリカでの3.11も経験されたお話、たくさん勉強しよう。#半農半X#半農半Xインターンシップ#高知#ハヤシはうす#ONEれいほく#石川拓也 pic.twitter.com/W5YbAMgGyB
— 林 利生太(ハヤシはしる) (@dxxb1212) 2017年10月16日
石川拓也さん(土佐の地域おこし協力隊)の講座わず。これまで地域おこし協力隊の方と関わることが何気に多かったけど、石川さんの働き方は新鮮だなーと思った。
— あつみん@半農半Xインターン (@chan_at_me) 2017年10月16日
嶺北に移住された写真家、石川拓也さんの半農半X講座に参加してきました〜。ずっと聞きたっかた石川さんの話、やっぱり素敵だった。好きなことが仕事ってやっぱり憧れちゃいます。好きな時に自由にできる人生になるように、今は行き当たりばったりだけど目の前のことを一個づつクリアしていきたい! pic.twitter.com/wxQWoPlOv1
— まーさんぽちゃん (@maasanpochan) 2017年10月16日
高知県大豊町の #ハヤシはうす にて、プロカメラマン・石川拓也さんのお話を伺った。
— ダイナミック忍者 (@dynamic_ninjya) 2017年10月16日
本質を大切にしている人の作品には、厚みというか、温かみがあるのよなぁ。
石川さんのHP→ https://t.co/50GHhmpAos pic.twitter.com/1BRp2UOjxx
#半農半X 8日目。写真家、石川拓也さん(https://t.co/yl4Ll6knuD)のお話を聞く。アメリカで写真を学んだ結果日本の流行にとらわれずに写真を撮れた、というのはセルフブランディングの点で参考になった。昔の日本か海外の雑誌読んでみようかな。
— 渡辺智基@高知でインターン (@twokk1994) 2017年10月16日
今までの職業人生的なところ、なぜ写真家になったのか?
というところをメインにいろいろとお話を伺いました。
大学を2ヶ月で辞めて、バイトでお金を貯めて海外を放浪し、そこからいろいろやってるうちに気付いたら写真家……みたいな話。
いつもながらなふわっとした理解ですまない……たぶん他の参加者の方々がちゃんとした記事にしてくれると思う……よ……!(弊サンドバックの存在意義とは)
聞きながらメモしてた言葉
気付いたら写真家。
なろうと思ってなったわけではない。4年行くと勿体無いと感じた。
大学に行った時点で満足してしまった。
やりたいことじゃないと思った。
なので2ヶ月で辞めてしまった。
若干判断は早まったとは思う。
昔に戻って言いたいことがあるとすれば、そもそも大学行かなくていいよね?ということ。95年くらいに海外に行く
昔は絵が好き
ちょっと描かなくなったら下手になってて、下手になると描くのが嫌になってしまった。借りパク(借りたものがパクられる)
父親に借りたカメラをインド人に貸したらパクられた。
インド人の警官にインド人信用すんなよと諭された。カメラの知識はなし
フィルムの種類とかよくわからないままに仕事をしていた
報道写真、戦争の写真で仕事をしたこともあったがこれは違うなと感じた
写真を学ぼうと思ってニューヨークへ、根拠はないそこで現像する人として重宝される
日本人としては雑だったと思うが全体から見ると丁寧な仕事だったのか、使ってもらっていた
そこで知り合った写真家に頼んでみて、アシスタントになった911を体験する
日本に戻る
仕事の取り方?
足で稼ぐ、とにかく写真を見せに行く車で西海岸、超オススメ
5ヶ月くらいレンタカーを借りて西海岸を走り回った他にも色々な人が売り込みに来ていたけど決め手になった理由
流行り廃りがあって似たような写真ばかり見ていたが、そんな中で石川さんの写真はまったく違う感じだった。
それがよかった。デザイナーの言葉
理解されたらそれは古い
新しいものは、5%の信者と、5%のアンチと、90%の困惑が返ってくる写真家の目から見たときの映画監督事情
- 行定勲
- ユビサキから世界を
- 遠くの空に消えた
- PARADE
ポスター作成、宣材撮影
きつい監督で、24時間以上ぶっ続けの撮影だったとか
paradeでは別人のように柔らかくなっていた
その前で大ゴケしたため、同じやり方を続けることに危機感を覚えたことでアプローチが変わったらしい
映画監督というのは芸術的な側面はありつつも、代役を買って出る人は多すぎるほどに多い
なので人付き合いもうまくできないとだめ
- 三池崇史
評判が良い、爆発的なヒットというわけではないが安定感はとてもある 奥田瑛二
- 風の外側
以前の仕事の繋がりで仕事をもらった
- 風の外側
アメリカでの撮影からインドの結婚式に呼ばれる
インドの親戚めぐり
家を建てる場所に通って写真を撮影していく、2年くらいかかった落成式
国外のインドの親戚(イギリスとか)を呼んで、1週間くらい式をする結婚式にも呼ばれる、それも1週間続く
様々な職業、装飾やら音楽関係の職業人を呼びつける
フェスか?と思うほどラストミッションパロディ撮影
技術屋としての自分に虚しさを感じる
両輪として、金を稼ぐ、自分の表現をするの2つのバランス
技術だと競えてしまう、上がいくらでもいる虚しさを感じていた時に土佐町を知る
保険会社のイベントで日本一周回って撮影
地方が面白かった、特に鹿児島と高知が一番土佐町の広報
仕組みとして協力隊を利用
質疑応答
最初のバイトは?
ドミノピザ、上野の
金額は100万目標、家賃もあるしなかなか難しかった
実際には80万だったバックパッカーはなんでやろうと思っていたか
中学生くらいにはやろうと思っていた、大学3年くらいで休学してやろうと思っていた
実は最初はインドに行った
カルカッタいければどこでもいけるという本の言葉を信じて行った
行ってみると意外に何とかなる、周りも教えてくれるカメラを盗まれたときの話
インドで仲良くなったやつにご飯をおごられて、そのまま仲良くなった流れで少し貸したらそのまま逃げられた大学はどんな?
外国語学科、フランス語。第二外語がほしかったから。
でも語学って話すだけじゃなくて文化とか色々勉強するけど、それは興味はなかった
GW明けに行かなくなってそのまま辞めた何が辛いか
仕事がこない時の世の中からクビになる感覚、
仕事が取れずに間が空く時の打ち捨てられた感覚
フリーでやっていけるかどうかは仕事がないときに耐えられるかどうかで決まるのかも傭われという選択肢はあったか?
話はあったけど向いていないだろうなと感じた
仕事がないときに誘われていたらわからなかったかも。
タイミング的に断れる時にしか誘われなかった両輪は今はどうなっているの?
立場は広報としてやってはいるが基本的に放し飼いになっている。
ただ報酬面で協力隊の範囲を超えてしまう場合に、仕組みが足かせになっていると感じる時がある。撮りたいものってなんなのさ
明確ではないが、自然に近いなにか。
で、その何かの中に日常を置いておきたい写真を撮る時に気をつけていること
綺麗すぎないこと
伝えたいことがあるはずなのに、意外にみんなすぐそれを忘れてしまう
本質を踏まえずにガワを整えても仕方ない
ひとまずそんな。
メモ書きを膨らませただけではありますが、そんな話を伺いました。
うん、ちょっと僕には難しすぎたかな。
少しでも行動している人ならいろいろ刺激だったり、参考にできる部分が多かったのだろうなあと想像しています。
僕は何もしてないもんな。
まずは行動してから、経験を整理するために勉強する。
そういう段階にある人には話を聞くというのはすごく参考になってそう。
僕は何ができるんだろう。
あと土佐町ポストカードもらったんでそれだけ自慢させてください。
頂き物。 pic.twitter.com/LwjT221jOo
— 怒り狂UCCアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年10月16日
どこで撮ったとか書かれててシャレオツしかない pic.twitter.com/xPVjSfNLKH
— 怒り狂UCCアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年10月16日