気付いてないかもですけど、あなたは『みんな』に入ってないんですよ。

まえがき

『みんなで叶える物語』とか『叶え! みんなの、夢——!』なんて言葉を掲げてるからなのかなんかなのか。
その辺りの不満を耳にすることの多い世の中です。

自分が『みんな』に含まれていることを前提に、「こうあるべき」だの「こうあるべきでない」だのという人の多いこと多いこと。

大体の場合、それは勘違いです。

『みんな』って、あれ、信者と新規客のことですからね。

そのことに気付けないと不幸になるって話をしてみます。

あるいは気付かない方が幸せなのかもしれませんけども。

『みんな』is 誰?

そもそも、『みんな』って誰でしょう?

こう問われて思うことは各人さまざまかとは思います。
ただ、僕の場合は何と言っても劇場版を思い出します。

無印の(この修飾が早く意味あるものになりますように)劇場版では、この言葉がいろんなところで使われていました。

特典として映画館でもらった紙片にも、『みんな』へ当てたメッセージが書かれていました。
劇中では「みんな、μ’sが続くことを願っている」というように、プレッシャーとして『みんな』という言葉が使われていました。

そして劇中で彼女たちが選んだのは、『みんな』の意見を跳ね除けて、自分たちから『みんな』を定義していくということでした。

「μ’sを続けてほしい」と願う『みんな』と、Future Styleが流れる直前に穂乃果が「行こう! みんなが待ってる!」と言った『みんな』は、果たして同じ存在でしょうか?
というと、明らかに異なる集合を指しています。

言葉は凄絶なまでに悪いのですけれど。

いまこうして振り返ってみると、劇場版というのは自分たちに都合のいい『みんな』以外を切り捨てるという側面があったように感じます。

確率の問題

ラブライブ!というのは、常に新しい方向に変化しているコンテンツじゃないですか。

サンシャイン!!から一気に海外公演が増えたのは、個人的にはその象徴だと感じています。

沼津とのコラボもどんどん進行して、『そこまでやるか!?』というようなことがどんどんと実現していきました。
もしタイムマシンがあったとして、サンシャイン!!以前のヲタクにラッピングシップとか言っても絶対信じないですよね。

だからそこはもう確率の問題で。

いつかは僕らの意に沿わない変化をするわけですよ。

ただし、大体のヲタクはどうにか自分の方を曲げて、あるいは洗脳してコンテンツにくらいついていきます。
ライブでも散々言ってますよね。

『本当の、本当の、本当に! ついてきてくれますか!?』

と。
あれは、ライブで上がったテンションを利用して、判断力を鈍らせ、宣誓を口にさせているわけですね。

ただ、それはあくまで運営側のアリバイ工作以上の意味はありません。
ヲタクには、宣誓をさせられているという自覚はないですからね。
それゆえ、ちょいちょい洗脳に失敗したヲタクも出てきます。

それが、『みんなからあぶれてしまった』人たちです。

『みんな』は全員じゃない。

というわけで、そんな感じの話でした。

言いたいことをまとめておきます。

ラブライブ!は、そもそもみんな=全員ではない。
劇場版はその最たるもので、明確に自分たちの意にそぐわない層を切り捨てている。

確率論というか自己啓発にありがちな考え方というかではあるが、そもそも他人を制御することは不可能である。
このため、盲従しきれなかったヲタクはどこかのタイミングで必ず『裏切られた』と感じるようになる。

要するに、ラブライブ!に文句がある人は、すでに『みんな』の中には入っていない。
そういうことになるわけです。

まあ、これも別に悪いことではありません。

実際のところ、可愛さ余って憎さ百倍……という面がありますから、アンチというのは単純にコンテンツから離れるよりは強力な客になります。

アンチと言いましたけど、正確には『許せない一部以外は好き』というコンプレックスを抱えさせられているだけの、ただのヲタクです。

新規開拓が、炎上商法になる。

コンプレックスがあると、人間はどうしても気になってしまいます。
炎上商法もそんな感じですよね。

新規客を常に希求するという戦略は、そのまま既存客にとっての炎上商法になる、と見ることもできそうです。

いやこれ、考えてみるとなんていうか、ほんとうまいですね。

踊らされてる方が幸せなのかもって気がしてきましたよ?



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