国木田花丸考。節分の鬼を恐れないところから、「知っていることを恐れない」という姿勢が見えてきた。
2017年7月号、もっと聞きたいAqoursのこと
花丸ちゃんは節分の日に鬼に出会ったことはありますか?
節分の鬼は——お寺さんにはよく来るから、おら、何度もあったことあるずら♡
なんて——エヘヘ♪
ちっちゃい頃から節分行事はおうちのお寺でもあったから、おら、町のお祖父ちゃんやお父さんたちがみんなで鬼になるのは、よく知ってたんだぁ♡
だから、普段は臆病者のマルだけど、節分の鬼だけは、あんまり怖くなかったです!
良かったずら♡
節分ネタを重ねてくるとは……という感じです。
スクフェスといい、節分づいてますね。
といいつつ思い出すのは当然ながら、スクフェスにおける節分のセリフ。
箒で鬼を退治できることを匂わせる発言でした。
要するに、鬼はだいたい偽物だし、たまに本物が混じってたとしても退治できるから怖くないよ、ということですね。
そういうねじくれた花丸さん観をもっています。
この記事ですね。
寺生まれってすごい。
オカルティックナイン見てない人にはなんのこっちゃって記事でした。
反省してます。
なんにしろ、そう思って花丸さんの回答の冒頭の部分を見ると、『節分の鬼は——お寺さんにはよく来るから、おら、何度もあったことあるずら♡』という部分。
この発言、『節分の鬼は——(本物も偽物も)お寺さんにはよく来るから』のように読み取れませんか?
読み取れませんか。
そっか……。
鬼の仮装をした男性は怖くないのか?
ところで、気になっていることがもうひとつ。
『大人が集まって鬼の仮装をする』というのは、子供にとって恐怖の対象になるのでは?
ということです。
幼い花丸さんは、お寺の装飾に対しても怖がっていたほどの臆病さを持っています。
これの特典冊子の話ですね。
男性恐怖症を持っているルビィほどではないにせよ、『おばけじゃないのはわかってるけど、怖かった』くらいのことは言ってもよさそうではないでしょうか?
そんなわけで、花丸さんはなぜ怖がらないのかを考えてみます。
花丸さんが怖がらないもの。
いろいろと考えてみると、単に「慣れている」という可能性が大きそうです。
- 寺だけあって老人には慣れてる。
- 近所付き合い自体は多い。
- 生者と亡者の区別はできる。
パッと思いついたのはこんなところです。
一部トンデモが混じってますが、寺の娘という立場からはどれもありそうな設定ですよね。
スクフェスの季節ボイス(春)
考えてみると、スクフェスでも先月までは事あるごとに『桜の木の下には何が埋まってると思う? ……なーんて、冗談ずら♪』というセリフを発していました。
あんまり臆病という感じではありませんよね。
どちらかといえば、仕入れた知識を活用したくて仕方ないという印象を受けます。
本の話では胆力を発揮する。
また、本に書かれている間は恐ろしい現実を忘れられる、といった発言もありました。
前述のBD特典ですね。
すでにこのブログでは何度も言っていますが、花丸さんは読書中に異様な胆力を発揮します。
人間の運命は怖い話というわけではないのですが、序盤はかなり悲惨な話です。
しかし、花丸さんはこれを主人公の成長物語として、興奮しながら読み進めていきます。
僕はこれを、長らく不思議に思っていました。
知っていることは恐れない?
以上のことを踏まえると、どのような結論になるでしょうか?
僕の結論としては、花丸さんは知っていることに対しては一切の妄想をしないというものです。
どことなく仏教的ですね。
あるいは、恐怖よりも知識欲、あるいは知識を活用したいという欲が勝っているのかもしれません。
むすび:また少し花丸さんが見えてきた(575)
というわけで、G’s2017年7月号に記載されていた花丸さんの節分の話を膨らませてみました。
いろいろな証拠と合わせて考えると、どうやら花丸さんは知識欲が旺盛なために、時に恐怖やもろもろの感情を無視できる。
という結論に至りました。
以前から疑問だった点が解消されたのは素晴らしい成果と言えます。
これで花丸さんにまた一歩近づくことができました。
すでに別媒体で扱われたネタでも果敢に投げていく、そんな姿勢も時には非常に有用であると教えてくれたぽむぽむケニィさんには感謝せねばなりますまい。
あ、皮肉じゃないです、これは。