ものを知らないヲタクだから花丸さんの『春の海 ひねもすのたり のんびり——かな♡』について調べた。
春の海
ひねもすのたりーー
のんびり、かな♡
ものを知らないヲタクである。
2017年5月号のAZALEAの練習風景についても、なんか難しいこと言ってる、で流してしまっていた。
反省しつつ調べる。
なんか聞き覚えは……ある? ない?
よくわからない。
変に見栄を張っても仕方ないので、知らないという程で調べる。
とはいえ、ググったらちょいです速攻で出てきた。
与謝蕪村の、以下の句が元ネタらしい。
春の海 ひねもすのたり のたりかな
まず与謝蕪村ってどちら様。
与謝 蕪村(よさ ぶそん、享保元年(1716年) - 天明3年12月25日(1784年1月17日))は、江戸時代中期の日本の俳人、画家。
本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章。通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。俳号は蕪村以外では「宰鳥」、「夜半亭(二世)」があり、画号は「春星」、「謝寅(しゃいん)」など複数ある。
与謝蕪村 - Wikipedia
ブロンソンみたいな名前しやがってとか思いました。ごめんなさい。
特にサンシャイン的に関係ある人というわけではなく、それらしい句の引用って感じですかね。
「謝寅(しゃいん)」など
……いや、なんでもありません。
なんか本歌取りとかいう言葉あったよね。
本来の、のたりかな、を少し改変している点について。
ふと思い出したのは、本歌取りという言葉です。
自分の作品に元ネタがあることに対して言い訳するための言葉で、要するに古い日本におけるリスペクトですね。
って思っていたんですが、さまざまなルールがあって、引用元も制限されているんですね。知らんかった。
そもそも短歌の話なので何の関係もありませんでした。
しかし、
こうした本歌取については様々な受け取り方があった。六条藤家の藤原清輔はこれを「盗古歌」(こかをとる)ものとして批判的に評価した。これに対して御子左家の藤原俊成はこれを表現技法として評価している。
パクリかリスペクトか、という話は昔からあったんですねえ……。
ともあれそういうセンスがあってよかった。
今回の記事に関しては、ひねもすのたり、という印象的なフレーズをそのまま流用してますから、元ネタがあることを隠そうとはしていません。
というわけで、パクリかどうかということは気にしないでいいでしょう。いやまあ、誰も気にしていないのはわかってますが。
そんなことより、のたりという言葉よりも、のんびりという言葉の方がしっくりくる、可愛らしい、そんな感じで今回のフレーズが作られたのだと思うのですが。
いやはや、花丸さんも普通の女の子らしいセンスを持っているようで
、なんというか安心しました。
……と、感じる僕のセンスが普通の女の子をカバーできているかどうかはいまいちわかりませんけれども。
いやでも、ともすれば、AZALEAの3人だと「のたりかな、でもいけるやろ!」とか言い出しかねないなって。
そんな気しません?
むすび:
というわけで、花丸さんの詠んだハイクについてちょいと調べてみました。ちょいちょいです。
与謝蕪村ののたりをのんびりに変更する可愛らしいセンスが花丸さんにあってよかったよねって思いました。
ところで、本歌取りという言葉が出てこなくて、「短歌 パクリ 盗作 別の言い方」とかすごい失礼なワードで調べてしまってすまんってなってます。
ものを知らないヲタクなので。