未来に先回りする思考法を読んでる。企業によるベーシックインカム、そういうのもあるのか。
未来に先回りする思考法(佐藤航陽)
近頃勝手に僕の中で話題にしているイケハヤさんのおすすめの中の一冊を読んでみてる。
ざっくりと、こんなことが書いてあった。
機械が人間の仕事を奪うことで収入が減るという指摘には、機械が仕事をすることによってコストが下がる=支出が減るという視点が欠けている。
僕も欠けてた。
これは本書のほんの一部分の話なんだけど、なるほどなあと思ったので、まずはここについてちょいと書いてみる。
収入は下がるけど、支出も下がる。
例としてあげられていたのは、スマホによる家庭用ゲームへの打撃。
確かに生産者の目線からは、なんでもスマホで済ませられるという現状は商売上がったりだろう。同情する。
だが消費者の目線では、同じ体験をするのに必要な金額は減少しているということになる。
……据え置き機とスマホの体験が本当に同じなのかとか、支払う金額は課金によって青天井になったとかはここでは置いておく。
確かなのは、割りを食う生産者よりも得をする消費者の方が多いということだ。
これが同様に、すべての分野で起きていくとどうなるだろう?
極限値としては、ごくごくわずかな生産者と、その恩恵により限りなく低いコストで生活が維持できるようになった消費者、という構図に近づいていく。
要するに、これは実質上のベーシックインカムというわけだ。
企業にもメリットがある……いずれ。
もちろん限りなく低いコストにしたとして、企業がそれをやるとすれば、適切なリターンがなければ立ち行かない。
慈善事業ではないのだから当然だ(もちろん慈善事業とて、どこからお金が出ているからできるわけだが)。
さっきからもいまからも本書の受け売りなのだが、例えば企業に限りなく低いコストで生活を賄ってもらう代わりに、生活上発生するあらゆるデータをその企業に明け渡す。
企業はそのデータを元に、別の分野でさらなる利益を挙げる。
そんなことができたらどうなるだろう?
これが本当にできるかどうかはもちろんまだわからない。
ただ、人間が発生させるあらゆるデータの収集や分析がいまよりも低いコストでできるようになるとすれば、十分「アリ」な戦略になってくるはずだ。
そうなれば、ゆくゆくは、現代版「並平家の一日」とでもいうべき生き方ができるようになるのかもしれない。