国木田花丸さんの言う人間の運命が6冊である理由の仮説をもらったので再考する
ヒントをもらった。
こないだ、久々に人間の運命について花丸さんが語っていたので、記事にしてみた。
国木田花丸考。僕の知ってる人間の運命と違う。
冊数が現実のものと異なるという内容だ。
ただ、同時に星の王子さまが惑星の王様になるくらいのことは起きていたため、僕はこれを単なるフェイクかななどと言っていた。
のだけど、ヒョロワーさんからこんな意見をもらって衝撃を受けた。
@arpknsndbg @takoyaki_dead 初版だと第一部が6巻までって分け方されてるから、あの世界では6巻発売後に作者が没してるんじゃない
— エリソ (@ersth) 2017年3月9日
なかなかの超理論である。
芹沢先生の寿命を変えるという発想はなかった。
だが、なぜ6冊なのか? という点に関して、確かに筋は通っている。
人間の運命に関して
ところで前回特に触れなかったのだが、人間の運命は三部構成だったと記憶している。
触れなかったのは、部で別れていることに特に意味を見出さなかったというのもあるが、正直なところ、忘れていたからだ。言われて思い出した。
しかし、もし仮に、その最初の一部だけしか発行されていないとすれば、確かに冊数の問題は解決する。
といったことを踏まえて、調べ直した。というかこれを読み直した。
『完全版 人間の運命』刊行の辞&推薦文
解説のなかでいろいろ書かれていた。
僕の認識や前回の記事で書いた説明で間違っていた部分もあった。
流石に先生の寿命を操作するのは躊躇われるので、この情報をもとに理由を考えてみることにする。
可能性を考える。
この説明によると、もともとが6巻の予定だったところに、要望に答えるという形で2部、3部と書き足していった・・・とある。
そこから更に、別に書いていた前日談・後日談的な話を含めたうえで、遂行に推敲を重ねた全16巻+2巻になったというのが、完全版発表までの正しい経緯のようだ。
前段の部分がすっぽり抜け落ちていた。
ここからわかるのは、6巻で完結したという事実は、確かに存在していたということだ。僕が知らなかっただけで。
ということは、当時に本を購入していた誰かが、6巻で完結した際にそれ以降の情報収集を怠ってしまい、国木田家にはその6巻までしか存在していない・・・という可能性が考えられる。
現代でも、あの作品ってまだやってたの!? とか、続編出てたの!? みたいな経験は、誰でも一度くらいはあると思う。
また、国木田家に電子機器が存在しないというアニメ版の話をどこまで信用するかはともかく、少なくともパソコンはなさそうだ(偏見)。
とすれば、なおのこと情報を得る機会はないはず。
パソコンやらスマホやらを持っている現代人であれ作品を見逃してしまうのだから、花丸さんが家に存在している6冊だけをその作品のすべてと考えてしまっても不思議はない。
・・・と考えると、作者の生死を曲げることもなく、人間の運命は6冊という認識を花丸さんが持っていてもおかしくないことになるので、その方向で結論とする。
とはいえ、本屋に行くなり、芹沢光治良記念館に行くなりすればわかりそうなものなので、その点については少々疑問が残る。
あれかな。
第2部以降は蛇足、という信念でもあるのかな。
ゼノグラシアは同人アニメ、みたいな・・・。
ヲタクじゃあるまいし、そんなやっかいなこだわりはあってほしくないものだ。
むすび:花丸さん関係なしに面白いよ。
6巻というと、結婚の巻か。
とりあえず最初の生命の危機を脱して、一息ついた後までか。
確かにあそこで少々時系列が飛ぶんだよな。
部が変わっていたなんて、読んでいたときは考えもしなかったけど。
ところで最近、芹沢先生の処女作、ブルジョアに手を出したのだけど。
下手に本誌で言及されるとフェイクを入れざるをえないから、評伝が自伝になったり7冊が6冊になったりするんで、僕としては絶対言及されないであろうこっち方面を読んでおきたいですねhttps://t.co/ybkLrZmvMC
— 怒り狂うアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年3月11日
やはりこれに比べると人間の運命はだいぶ読みやすいなと感じる。
そんなことも手伝って、やはり世の中のヲタクに於かれては、この壮絶な世界観に触れて、これを純粋に楽しめる花丸さんの心の強さを感じてもらいたい。
ちなみにヤフオクでも古いものならけっこう安く手に入るみたい。
1000円のやつ入札した。