コンテクストを重視するとかしないとか。

ザ・ファシリテーター2という本をおすすめされて読んでいます。
その中に出てきたくだりで、日本人はコンテクストを重視する、なんて話があって。
で、それを読んでなんかわからないけどもやっとしたものを感じました。
なんとなく言葉にできかねていたのですが、この記事にていい感じにまとめられていました。
日本はハイコンテクスト

というわけで僕がどの辺に関してもやっとしていたのか、書いていこうと思います。

コンテクストを重視するってどういうことか

まず、コンテクストを重視する、という言葉の意味を考えてみようと思います。
これ、どういうことだと思いますか?
僕の考えは、言葉の前後の関係を読み取る、というものでした。

これが転じて、独りよがりな考えをせずに、相手の背景を読み解こうとする・・・という意味でも捉えていました。
今から振り返ると、すでにこのあたりでずれていたみたいです。
そのせいで本に書いてあることに疑問が出てきてしまっていたわけですね。

本がいう『コンテクスト重視』の意味

本に書かれていた、コンテクストを重視するというのは、僕の感覚とは少し違うようです。
本に書かれていた意味はこうです。
『相手の言っていることが理屈で正しく見えたとしても、自分の前後関係と照らし合わせて納得できるものでなければ納得できない。』

つまり、理屈より納得を重視するということですね。
それ自体は確かにそのとおりだと思います。
ただ、それは僕に言わせれば『自分の視点でしかものを見ることができない』ということでしかありません。
あるいは『相手と自分が同じ視点を共有していると信じること、あるいはそういう文化』とも言えるでしょうか。

ともあれ、そのあたりに認識の違いがあったようです。

どんな違いがあるのだろう。

僕の考えと本の記述とでは、どんな違いがあるのでしょうか?
そう考えると、『相手のコンテクストを読み取ろうとしているかどうか』が違うのかな、と感じました。
本の記述は、自分にしかコンテクストが存在しないかのように振る舞う相手を前提としていて、それにどうやって対応するか?
ということが書かれているわけですね。

僕のなかでの『コンテクストを重視する』というのは、文章を読み解くときに意識していたことのように思います。
文章を読んで、なにかそこから自分に役立つものを抽出するときには、この考えがないと表面的なことしか学べません。

いまさら気付いた、自分の考え

僕はどうやら、本を読むときの考え方を会話にも適用していたみたいです。
これって、内向的とか外向的とかの考えにも通じますよね。

ひとつの言葉から、表面的にしか読み取らない人もいれば、いろいろと発言の裏と表を読み取ろうとしてしまう人もいます。
そして僕の考えるところの『コンテクストを重視する』は、まさに『内向的』な人そのものの特徴です。

内向的な人は、一般的に人との会話を苦手としています。
この原因を考えたときに、相手のコンテクストを読み取ろうとしてしまうというのが、その理由なのではないだろうか?
なんてことに気付きました。

むすび:相手のコンテクストを推し量る危険性

相手のコンテクストを読み取ろうとする姿勢は、本を読むときには役に立ちます。
ただ、会話においては害になることが多いです。
というのも、内向的な人がこの手の問題に集中すると、相手を無視して考えすぎてしまうことになるからです。
当然ながら会話のテンポが悪くなりますし、コンテクストを正しく読み取れないことの方が多いでしょう。

また、仮に正確にコンテクストがわかったところで、それを相手とうまく共有できなければ、逆効果になってしまいます。
事情を理解していない人に知ったふうな口を利かれて苛立った経験は、誰しも一度はあるでしょう。
それをすることで相手に好印象を抱かせることができる人なんて、占い師か詐欺師くらいです。

相手は相手のコンテクストだけで話していて、自分は両者のコンテクストで話していれば、話にずれが出てきても当然です。
ただ、普通はコンテクストが違うのは承知していますから、その場合はさらにやり取りを重ねて(その過程で会話が盛り上がって)、そのズレを解消することができるでしょう。
しかし無意識に相手のコンテクストを読み取って(そのつもりになって)いる人が話し相手だと、どうなるでしょう。

『なんか勝手なことを言って一人で分かった気になってる・・・』

そう感じられても仕方なさそうです。
よくあります。とてもつらい。

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