ヲタクのライブにおける確執はだいたい認知特性で説明できる。
認知特性万能説
最近認知特性というものを知るにつけて、同じものを見ても感じるウザさは人それぞれだということを学んだ。だがうざいものはうざいので別に許容できるわけではないが。
— 怒り狂うアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年1月25日
音に関しても似たようなもので、聞きたい音に上手く集中出来る人もいるし、関係ない音に気を取られやすい人もいる。そのあたりの違いがあるから「これくらい気にするな」というのは無益。ゆえに戦争はなくならない。
— 怒り狂うアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年1月25日
僕は光と音への反応が強すぎるらしくてテレビついてると無限に見ちゃう。けど世の中にはとりあえずつけるみたいな人もいるみたいで、よくこんなうるさいものと共存できるなあとか思ってるし、テレビ変えてもいいよって言われたら速攻で消すし、それで祖母との関係は悪くなった。
— 怒り狂うアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年1月25日
認知特性についての本を読んでみた。いろんな人間がいるんだなとわかった。|アルパカのサンドバッグ https://t.co/Da3VMHMEjJ
— 怒り狂うアルパカ (@takoyaki_bot) 2017年1月25日
長い! ツイートをまとめただけの記事に憧れてるんですけど、見づらいですねこれ。ツイートの仕方も気をつけなければ・・・。
自分がどう思うかは関係ない
さて、Aqoursのファーストライブでいろいろな禁止事項が出た流れでつぶやいてました。認知特性。詳しくは該当記事が説明してくれることを期待しつつ省きますが。
要するに、『自分は気にならないから文句を言っているやつは気にしすぎ』という意見には意味がないということです。感じ方って意外にみんな違うんで。まさに『お前がそう思うんならそうなんだろう、お前の中ではな』状態。
なんていうのか、この話題に関してだけ言えば、自分がどうかというのは全く関係ないんですよね。もちろん、趣味全般の話で言えば、他人からどう思われようが関係なく、大切なのは自分が好きかどうかです。
ややこしいですね。でも、実は単純なことです。自分に対しては他人は関係なく、他人に対しては自分が関係ないってだけですから。
競合するときは?
ところで、自分と他人が同居しているときはまたややこしくなってきます。自分の好きを優先すると、それがそのまま他人の迷惑になる・・・。
ただ、これも個人的には問題ないかなあと思うんですよね。そういう公共の場で、自分を優先させすぎる人の向かう先は明らかですから。そのうちどうにかなるでしょう・・・死んだ後になるかもしれませんけどね。地獄ってつまり、そういう向きが溜飲を下げるための仕組みですよね。
むすび:思いやりを持つために。
というわけで認知特性の話を知ってからというもの、ヲタクライブのあーでもないこーでもないを見るたびに思ってたことを書いてみました。認知特性面白いですよ。でも、一番有益なのは、そういう考え方を知ることで、対人関係のイベントに理由付けがしやすくなるということだと思います。
たとえば、自分ではうまく説明しているつもりなのに相手にまったく伝わっている感じがないとしましょう。認知特性を知らなければ、変な方向に考えが向いてしまいます。何か間違えているだろうか、嫌われているからわからないふりをしているのかもしれない、とか。人間が一番ストレスに感じるのは、原因がわからないことですからね。いくらでも妄想が膨らんでしまうわけです。
でも知っていれば、建設的な仮説が立てやすくなります。「声だけだと理解するのが苦手なのかもしれない」とかですね。だから、文字にしてみよう、絵にしてみよう、図にしてみよう、なんて対策が浮かびやすくなります。それって、思いやりがあるってことですよね。
そんな思いやりの一助に。認知特性がおすすめです。