好きなことの悪口を聞くのがしんどいので理論武装して心を慰める
ヲタクにもいろいろな種類がいます。
基本的にヲタクは、自分の知る範囲のヲタクとしか関わることはありません。しかし、ヲタクタウンを始めとしたヲタクのサラダボウル的な場所で過ごしていれば、いやでも周囲の会話が耳に入ってきてしまうもの。
というか居酒屋行くと大体Aqoursがdisられているので辛くなって対策を考えた。
いろんなヲタク。いろんな話題。
もちろん、いろんな人間がいる以上、人間の亜種であるヲタクにもいろんな種類があります。そして、ふと耳に入ってきてしまう会話というのは、やはりそのときに自分が興味のある話題になってしまいます。
ただ悲しいことに、その話題は、必ずしも好意的なものであるとは限りません。
悪口は気になる。
世間では、悪口に耳を貸すなといいます。
もちろんそうやって、人それぞれ、で受け流すことが理想なのでしょうし、そもそも人様の会話に耳をそばだてることがどうなのだ、という話はあります。
でも、『お前サバンナでも同じこと言えんの?』と言いたくなるような過激な発言が近くで起きたら、真っ先に耳に飛び込んできてしまうのが人間というものです。
- みんな同じに見える。
- なんで売れているのかわからない。
- MはいいけどAはキャラが弱い。
よくある話といえば、よくある話なんですけど。
特に居酒屋など、酒が入る場では過激な発言が飛び出しやすいといえます。行かなきゃいいじゃんという話はありますが・・・。
他人は鏡。
ここで、一度立ち止まって、とある言葉を思い出してみます。
他人は自分を映す鏡である。
今更僕が言うまでもないほどありふれた言葉だと思います。他人に対して気になることは、実は自分が気になっていることである、ということです。
背が低いことを気にしている人は人の身長や、誰それとどれくらい差があるとか、そんなことばかり気になってしまう。みたいなことですね。
ちなみにこんな例を挙げた程度には、僕は身長を気にしています。平均身長なんで、つまんないなあ、と思っているのです。人間、何を気にするのかわからないものですよね。
人が言う悪口が気になるとすれば、それは自分自身でも思った、言ったことがあって、そしてそれを後ろめたく思っているからなのでしょう。
このように考えれば、自分が反省するきっかけになります。それでどうなるかといえば、今後の人生で、自分が無駄に他の人を傷つけることが減らせるかもしれません。
いやな気分になるのは変えられません。それでも、あんな経験でも無駄ではなかったと思えるほうが、多少はマシですよね。
もちろん、自分を映すといったことが当てはまらないパターンもあるとは思います。単純に好きなものを否定されれば、誰だっていやな気分になるでしょう。
その場合はどうするかといえば、もう気にしないように努めるしかありません。せいぜい、反面教師として、自分を戒める材料にするくらいでしょうか。
・・・と、思うしかないわけで。
なんて、自己啓発めいた本にありがちなことを書いてみましたが。こういう、『こう考えれば少しはマシになります』なんて消極的な対策って世間にあふれてますよね。
でも、なんでそういう意見しかないか? と考えてみればそれは当然で、変えられるのは自分だけという、これまた自己啓発にありがちな真理があるからですね。
まあ自分はそんなに簡単には変わらないという説も昨今は流行っていますが・・・。とはいえ、それ以上に、他人は変えられません。
悪口を言っている人たちに割って入って、それは違うぞ! なんて反論し始めたら、それこそ危ない人です。さらに、それをしたところで、悪口を発した人が考えを変えるはずもありません。次の物笑いの種を提供するくらいがせいぜいです。
悪口はだいたいが暇つぶし。
悪口を言っている人に反論しても、考えは変えられません。先の例では外から会話に割り言って・・・という流れでした。じゃあ、会話に最初から参加している人が反論すればいいのでは? というと、そうでもありません。
というのも、悪口というのは考えた末に発しているわけではないからです。その場限りの、仲間内でのウケを狙った発言であることがほとんどです。
さらに言えば、そもそも興味がないので考えすらないかもしれません。そもそもないのだから、それを変えようと思っても無理な話です。
要するに、悪口を言っている人は、別にそれが言いたいから言っているわけではありません。単に暇つぶしをしているだけです。
相手にする価値がない。
もちろんそれ故に、その発言には矛盾があることが多いです。それを指摘すれば、その場では論破することもできるでしょう。
でも、それで何が変わるでしょうか? 何も変わりません。
そもそも言った本人は特に考えてませんし興味もないので『なんで熱くなってるんだろう』なんて思われるのがせいぜいです。
下手をすれば『ファンがクソだから作品もクソ』なんて、本格的に嫌いになる理由を与えてしまうかもしれません。
むすび:いくら語っても語り足りないものを見つけたい。
悪口をいろいろとこき下ろしてみましたが、結局のところ自分にできるのは『自分は気を付けよう』と戒めることくらいしかできません。
・・・なんてつまらない結論になりそうになりましたが、では自分がしないようにするためには? と考えたとき、ふと閃きました。
そもそも悪口を言うなんて暇つぶしをする必要がない人生を送ればいいんです。
それに、この記事もよくよく考えれば『悪口が嫌い』という悪口です。
『何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ』とは、とある有名な海賊のセリフですが。
自分を語るという目的でなくとも、そんなことよりサメの話しようぜではないですが、いつだって好きなものの話ができる、話題が尽きない、そんな人生。
それくらい好きなものが見つかったら幸せなことですよね。
花丸さんがそうであったらいいなあ、なんて思いました。