現場のカリスマ・・・
ミリオンドールの漫画1巻を読んだ。
けっこう来る内容だった。
ミリオンドールというのも、一見皮肉じみた名前なんだけど、冷静に考えてみると骨も髄もミリオンドール以外の何者でもない、気がする。
いままでほとんど意識していなかったんだけど、アイドルって歪な存在なのかなあ、とか。
代替可能な人形。ミリオンドール。
うーん。
やっぱりヲタ芸というか、演者よりも目立ちかねない客は嫌いだ。
その辺の部分もミリオンドールを読んで、自分の立場というか、立ち方が明確になった。
『リュウサン』はぱっと見では筋の通った強いヲタクとして描かれていて、一瞬見直しかけたけれど、肌の合わない感じは拭えない。
許されるギリギリを見極めるバランス感覚が云々、と作中で説明されていたが、んなもん人によって様々で、大騒ぎするような連中にとってのギリギリは、恐らく大多数にとっての向こう側だ。
とかなんとか。
いろいろと考えた結果、どうにも奴らは自家撞着を起こしているように思う。
だが、恐らく。
それに気付かないことが不幸だとか、気付かないでいられることが幸福だとかいう以前に、そういう形態でしか地下アイドルという収益モデルは成立しないんだろう。
作中で、100人規模のいつも来ている客だけのライブをしていた。
なんでいつも来ている客しか来なかったか。
そんなものは自明で、それ以外の客は、その、いつも来ている客を疎ましく感じているからだ。
観客は普通の人間であって、音楽の、ちょっとした技術の差を感じる能力なんて持ちあわせてはいない。
じゃあ、何によって優劣が決まるのか? といえば、音楽とは関係ない、いろいろな、ちょっとしたことに依存することになる。
どれだけ思い入れが抱けるかどうかと、どれだけ嫌な思いをしたか、そんなところだろう。
要するにどれだけそのアイドルが好きかどうかということと、どれだけ他の客に厄介が混じっているかだ。
これは、行く理由と、行かない理由に相当する。
じゃあ行く理由が同じくらいだったら、結局何で決まるのかといえば、行かない理由=厄介の有無、となる。
あと。
ドラマチックな、もっと上に行きたい、からのメジャーデビューしようぜの流れ。
一見感動的である。
だけどこのモデルのままでは絶対に上には行けない。
何しろメジャーデビューしようぜって言ってる客が、メジャーにおける客であるところのその他大勢を遠ざけているのだから。
冗談を通り越して悪夢めいた構図だと思う。
上を目指して頑張る、そしてそれを応援する、その行為そのものが目的となっていて、しかし当人たちはそのことに気付かない。
まあ、旅の途中って日本人は大好きだから、永遠に旅の途中でも悪くはないのかもしれないけれど。