ラブライブ! スクールアイドルムービー 考察

するよ

まずは気になったことをいろいろと。
・謎の高山みなみについて
ツイッターをはじめとする表立ったメディアでは面白いくらいみんなここには触れてない印象。
探していないが、こんなかんじで掃き溜めじみた場所に考察を書きたい向きは多いだろう。
観に行った人の意見を聞くと、未来の穂乃果だという人がちらほらいる。
わかる気はする。
境遇も容姿も似ていて、妙に意味深な、まるで導くようなアドバイスを与える。
凛ちゃんに至っては『誰もいなかった』とすら言い出すし、実在の人物なのかも怪しい。
いきなり心象風景ステージに連れ去るし、天候も操るし。
少なくとも、超常の何かであるようには思える。
Music S.T.A.R.T!のミニドラマが実話かネタか、という部分でも意見がわかれそうだ。
ただ、映画がラブライブ!世界における創作か否かという話はさておき、というかむしろ、もしも創作であるならなおのこと、彼女は何のために出てきたのか、という問いが出てくる。
あんなに詰め込まれているのだから、必要なければ真っ先にカットされているはずだ。

個人的に気になったこととしては、穂乃果が朝起きて、メールを読んで、独白した後の、
「見つかったよ。答え」
というセリフ。
件のシンガーに対する答えのはずが、口調がやけに砕けている。
どちらかというとそこまで含めて独白のようにも思える。
だが、何のために歌うのかという問いは件のシンガーから与えられたものだし、そもそも口調自体は問いに答えるものだ。
なのでどういうわけかこの時点で穂乃果は件のシンガーにタメ口をきいてることになる。
それをして『穂乃果=謎のシンガー。自分に対してだからタメ口』という結論に持っていくのはたぶん乱暴ではあるだろうが、じゃあ逆に誰なんだ?と言われれば、確かに他に思いつく答えはない。
穂乃果のイマジナリーフレンド的な何か、と考えてみたものの、それならばあのマイクはどこから出てきたのか、という話もある。
だが海外で拾ったマイクを日本に持って帰るか? 警察届けないの?
まあ警察届けるのもそれこそ面倒くさかろうが。
名前すら聞いてないし。
くらいまで考えたあたりで、はいはいゴッドゴッドみたいな気分になってきた。

結局、そこはみんなでいろいろ考えてみてね、というのが実態だと思った。
個人的にはμ'sという概念が実体化したものとか思いついたんだけどどうだろう
でもAs Time Goes By、時間が過ぎ去っても、という歌を考えると、未来路線の意見の方が説得力があるなあ。
だけど、未来路線の意見は今と未来の時間の流れを見ているわけだけど、映画の冒頭を思い出してみると、過去と今の時間の流れを表現しているとも見ることはできるよね。
謎のシンガーが普通の人だったとして、大切なことは昔も今も変わらない、海外で逃げたのはなんか偉そうなこと言って恥ずかしくなった、凛ちゃんは夜目が効かない、日本に来たのは完全に気まぐれ、突風は偶然、心象風景はあくまで穂乃果のイメージ、跳べる云々はあくまで一般論で、穂乃果はたまたま突き刺さるエピソードがあった・・・
今までのアニメラブライブ!での無茶な部分を考えれば、そこまで荒唐無稽な説明でもないだろう。

うーん、まあ。
やっぱり大喜利のネタ以上のものではないのだろうけどね。
出した理由としては、今までの作品にはアイドルとして、ちょっと先を行く先輩がいなかった。
その程度の理由だろう。
上を見ると母親世代まで飛んでしまうから。
当事者でなくて大事なことを伝えてくれて、意識してしまうほどに説得力がある。
そこのちょうどいい塩梅が、『海外を拠点にする、昔は日本で仲間と一緒に音楽活動をしていた』という設定だったんだろう。
超常現象っぽくなった理由?
ワンオフにしたかったんじゃないの?

もやもやして終わるって意見も見かけたけど、あいつの正体そんなに気になるかなあ。
僕はどうでもいいんだけど。

・のぞえりが夫婦だという風潮
凛ちゃんが駆け出した直後の『凛ちゃんは元気やなあ』が完全にのぞえりラジオの我々のりっぴーだった
メリケンがアキバに似ているという話→露骨に仕草を重ねてくる

・凛ちゃんに良いシーンが多かった
ビルの屋上で夜景を眺めるシーンでの一連のセリフは凛ちゃんの成長を感じさせる感動的なシーンだったし、劇中歌の入りはアニメ一期の>ω</を昇華させた名シーンと言わざるを得ない。
リードは任せるにゃー!に関しても、よくよく考えるとほんとに泣けてくるんだ。

バランスを取るためなのか、花陽がにこと同じ側にいたのが印象的だった。
ちなみに、
凛ちゃんが可愛かった→☓
凛ちゃんの見せ場が多かった→○

だと思っている。
あのフードは出し入れ自在の凶器だよな。

・りんぱな分多め。はやくデュエット曲を出してください。

・頑なに喋らない小太郎。
 と思ってたらクレジットにいなかった。
 朝で眠かった、とかだろうか。
 
・三年生の密会。
 あのシーンはすごい好き。
 あくまで笑顔の希と、やっぱり未練があるにこと、優しげな表情の絵里。
 μ’sを続けるという選択肢って、やっぱり三年生次第なところがある・・・ような気がするから。
 アニメ2期では、その選択肢は1年2年に移譲していた。
 そういえば、にこに至っては、最初は続けてほしいと言っていたな。
 でも、その続けてほしいという意見も、『自分が抜けた後も』という話だった。
 少なくとも卒業後にμ’sを続けるつもりは、三人ともなかったように感じる。
 でも、改めて進退を問われたから、それを明示するに至った。
 ただ、それを明示するために、ちゃんと三人で集まったというところに、やっぱり続けられるなら続けたいと思うというか、未練というか、そういうものが詰まっているような気がして貴い。
 
 ところであの密会はどうやって開催されるに至ったのだろうか?
 妹チームが絵里のところを尋ねる絵があったから、そこで『うちの姉貴迷ってるみたいっすわ』とかタレコミがあったのだろうか。


・劇場版全体の感想として
映画を公開した後に、ちょろっとダイジェストみたいな予告編を公開したのって、なんかわかるなって気がする。
というのも、けっこうつめ込まれていて、一回観ただけでは最後の方は展開についていけなかったのだ。
思い返したり、また見てみたりする過程で、この作品は常に謎のシンガーとのやりとりにあった『何が好きで、何のために歌ってきたのか』を意識しながら観ることが前提になっているんだなーと思った。
んで、公開初日に見に行くような連中は、放っておいても2回め、3回めと観るだろう。

でも、一週間放置するような人は期待値もほどほどだろうし、1回めで「?」ってなられるともう観てもらえなくなる可能性が高い。
というわけで、改めて本予告を流したのではないかなと思う。
たぶん間違ってる。


あと、今回の作品を観て改めてラブライブ!がなんで好きなのか、ということがわかったように思う。
というのも、ラブライブ!がヒーロー物だという解釈なのだけれども。

今回、『みんな』という言葉の使われ方が非常に印象的だった。
最初の特典で、『μ’sを応援してくれるみんなへ』みたいに書かれていた。
中のメッセージも、『みんな』へと当てたメッセージだった。

だが、映画の中での『みんな』という言葉は、あまり良い使われ方をしていなかったように思う。
『みんな続けてほしいと思っている』
『みんなの期待に応えたい。いままで、ずっとそうやってきたから』
『みんなそう思っている』
 
まるで、みんなというのが重りか何かのような言い回し。
もちろんそれはある面では事実だ。
凛ちゃんSidの最終話でもあった話。
期待は重圧となる、こともある。
 
また、よくあるラブライブ!世界へのツッコミとして、アイドルの権利どうなってんだ、というものがある。
勝手にグッズが作られるなど日常茶飯事である。
今回では知らないうちに空港で動画が流されたり、ビルに巨大ポスターが貼られたりしていた。

で、気付いたことなのだが、この世界ではあれなのだ。
権力者という存在が表に出てこない。
精神的な、期待とか人間関係とか、そういうもので表現されている。

で、それって、僕らのこの現実世界においてもけっこう通じるところがあるような気がして。
なんだかわからないけど、常識だとか、空気だとか、そういうよくわからない、目に見えない、でも確かに存在する、心を縛り付ける価値観というか、なんというか。
身動きが取れなくなってしまう、あるいは身動きが取れないことにも気付けないような、不安というか、重圧というか、そういう何か。
それって、ラブライブ!でいうところの『みんな』に通じるような気がする。

穂乃果もそのよくわからない何かに気を使って、動けなくなってしまっていた。
だが、飛べるよ! の言葉に、何も諦めなくていいと気付くことができた。

心象風景ステージでのあの大きな水たまりは、分かれ道だと解釈している。

片方は、μ’sを解散して、ドームを諦める。
もう片方は、ドームを目指すために、μ’sを続ける。

どちらも選びがたい。
だが、穂乃果は、第三の選択肢である、『μ’sは解散する。ドームも諦めない。』を選択した。
冷静に考えてみれば、μ’sの解散と、ドームを諦めるということはイコールではない。
だが、あの瞬間、それがイコールであり、μ’sを解散することが即座にドームライブが実現しない未来を選択することである。
そう、μ’sの全員が考えていた。
見事なミスリーディングだ。

さておき、『クソッタレな現実=みんな』をグーパンチで黙らせて、欲しい未来を全部掴んだ。
その辺りが、映画の爽快感の正体だと思う。
 
穂乃果が学校の屋上で、ドームライブも諦めない!と言ったときの、目を見開いた表情。
あれを見た瞬間、大体のラブライバーは、『あ、無敵モード入りましたわ』と思ったことだろう。
 
そんな考えのもと、全国からスクールアイドルを集めてライブをする、という話をした瞬間の周りの反応を見ていると、実に面白い。
『時間がない』『大変そう』『そんなのできるわけない』・・・そういう、現実でもよく目にする意見が、『面白そう』『できたらすごいことになる』『楽しそう』という意見に塗りつぶされていく。

話が前後するけど、その日の朝の、桜並木(いつまで生えてんだよ)を走る穂乃果の、いままでのことを考えている時の独白を、今までのμ’sの歩みに当てはめるとなかなか感慨深い。
偶然そうなったわけじゃない。
夢中になれたから。
最高に楽しかったから。
正確な言い回しが思い出せない。また観なきゃ。

そして、Future Styleの入りの、『行こう! みんなが待ってる!』である。
つまらないツッコミをするならば、誰も待ってなんかいないのだ。 
なにしろこの企画を知らないのだから。
けれど、自分たちが楽しいと思うことをすることが、みんなが楽しいと思ってくれることにつながると確信できるようになった。
だからこその発言である。
本当に、強くなったなあと思う。

まとまらん。
でもやっぱり以下の言葉は真理なんだろうなと思う。
 
「アイドルは、アイドルでなくたっていいんだ」(Tokyo 7th sistersの七咲ニコルというかコニーさん)
「本当は、演奏なんて下手でいいんだ」(キラ☆キラの殿谷健太)

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