【ヲタク先生】すべてを知ることはできないことを認めよう【きのこれ】

最近ヲタクを搾取する風潮が強い気がしています。

いや別に、いいんですけどね。
黒バス脅迫の人が言ってた「客観的には搾取されているけど主観的には幸せ」な、消費によって他者とのつながりを得るというのがヲタクのありかたそのものである。
それはかなり真理をついてる気がするので。

とはいえそのことに無自覚に、流されるままに消費しているだけでは未来がないよないよね(夏色)まっしぐらな気がしていて、そうなる前にちょっとでも立ち止まれる人が増えないかなあ。

そんなことを最近考えてます。

運営に文句を宣うヲタク達。

5・7・5

上で書いたことをもう少し具体的な話をすると。
少し前のサンシャインがそんな感じなのかなと感じてます。

イベントが多すぎる!
とてもついていけない!
みたいな文句を言う人、けっこう多かったですよね。

実際僕としても多すぎて、行く行かない以前に何があるのかを把握しきれなかったところがあります。

で、ここで情報が多すぎるということに文句を言う、という反応をしちゃうヲタクがいるわけですが。

ここでちょっとだけ、考える余地があるよなあと思うわけです。

全てを知ることはできない

そもそも文句を言うのはなぜかと考えてみると、「すべてを知りたい」「すべてを知らないといけない」と考えているからですよね。
でもそこでちょっと冷静に考えてほしいんです。

そもそもすべてってどこから?

と。
TOKIOみたいに。

推すことは恋と同じ。

まあ、立ち止まるのって難しいんですけどね。
恋は盲目とは言いますが、推すということも割と近いものがあります。

推しをこじらせるとガチ恋になることからも、似たようなベクトルに両者があるという考えはそこまで突飛なものではないでしょう。

それを踏まえると、推しを推すヲタクが推しに対して際限なくのめりこんでいきがちなのは仕方ないことなのでしょう。

どんなイベントにも参加したいと思う。
そのための手段は問わない。
ヘリコプターにワンチャンスを感じるようになる。

だいたいのヲタクはそうなっていくものです(個人差はあります)。

「すべて」は無理じゃない?

しかし冷静に考えてみたいんですが。

とてもすべてを追い切れるとは言い切れないイベント。
それらのすべてを仮に全通してのけたとしましょう。

でもそれって、本当に「すべて」なのでしょうか?

どんなにステージを網羅したヲタクでも楽屋の様子は知ることができません。
当然ですね。
逆に、スタッフの立場ならば楽屋は入り込めるのかもしれませんが、観客席からの様子はわかりません。

推しのプライベートも気になり始めたら気になるもの。
それはすべてに含まれないのでしょうか?

そもそも自分に置き換えてみるとわかると思いますが、自分の考えていることなんて自分でもあまりよくわからないもの。
それを踏まえれば、たとえ本人に成り代わることができたとして、とてもすべてを把握することなどできるはずがありません。

話に無理はあるけれど

だいぶ話を飛躍させたので、屁理屈にもほどがあると思われていることでしょうが。

事実は事実です。

で、その事実を踏まえると、こんな考え方もできるのではないでしょうか。

すべてを知ることはできない以上、行けるところまで行くのも、ほどほどであきらめるのも、そんなに大差はない。

そう思えれば、情報が多すぎるだとか、イベントが多すぎて時間的にも金銭的にもすべてに通い尽くすことができないという残酷な現実。
思わず文句の一つも言いたくなる、そんな現実に対して。

全部は通いきれんけど、でも全部が無理なのは最初からそうっていうか、ダメでもともとだしな。

そんな風に、少しは現実を受け入れやすくなるはずです。

言い訳といえば言い訳だけど。

いろいろともっともらしく……はないか。
突飛(と自分で言うのはそれはそれで恥ずかしい)な考えを偉そうに意見を垂れてきたわけですが。

それもやっぱり見方次第なところはあります。
全通できない、金が足りないことを言い訳しているだけにすぎないと言うことはできるわけですね。

そういう意見を取り入れるのは悪いことではありませんし、そうしたいならすればいいとは思います。

でも冒頭でも言ったとおり、それだと未来がないよないよね(夏色)な未来しかない気がしていて、それならもう少しましな、現実的な方向に舵を切ることはできないの?

そう思ってこんなことを書いてみました。

なにか伝わるものがあれば幸いです。

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