外向型は厄介をこそ楽しむ?内向型がヲタクライブでこの先生きのこるためには理解が必要だ。

内向型を強みにする

以前も記事にしたこの書籍。

数年前に出版された本で、もしかすると知らないのは僕だけかも……!?
なんて思いつつも、正直そんなことは今更なので気にせず紹介していく次第。

今回は、ライブにおける予想外の要素……いわゆる『厄介』と呼ばれる刺激に対する反応を、内向型・外向型の性質ごとに説明してみます。

内向型と外向型

この2種類の性質。
どうやら人間というのは誰しもこの2つのいずれかの特性を、人それぞれな割合で持ち合わせているのだそうです。

これによって何が変わるかというといろいろあるんですが、一つに幸せの定義が異なるというものがあります。
具体的には、幸せの正体であるところの脳内物質、ドーパミンの出方が異なるのだとか。

ドーパミンが出づらい外向型

外向型は、ドーパミンが出づらいそうです。
そしてこれによって、飽きっぽいとか刺激を求めるという性質が生まれます。
というのも、最初のうちは刺激に対して反応するけれども、すぐに反応が鈍くなってしまうんですね。

この性質は、外向型がスリルを求め、エスカレートしていく傾向の理由となっています。

ドーパミンが出やすい内向型

内向型は逆に、ある程度の刺激でドーパミンが出てくれます。
同じことの繰り返しでも、飽きずに長く続けることができるのはこれに起因するようです。

また、内向型にとっては強すぎる刺激が不快になることもあるようです。
外向型から『殻に閉じこもりがち』なんて評価をされるのも納得できますよね。

ちなみに、内向型がそんなときにどうするかというと……全ての刺激に蓋をしてしまうようです。

騒がしい場所に行くと急に不機嫌になったり、フラッといなくなってしまったりする人っていますよね。(僕です)
大丈夫な時もあるんですけどね……。

そういう人は、内向型の自分を制御できていないのでしょうね。

ドーパミンは命すら左右する。

ちなみに。
話は逸れるんですが、危険なスポーツに取り組む人は、このドーパミンを出したいがためにやってるって部分もあるみたいです。

雪山のてっぺんからスキーで駆け下りる……なんて無謀なことに挑戦している人がいるそうですが、その人もまさにそんな状態だったのだとか。

その人のサポートチームにも死人が出るような状態で、本人もできることならこんな危ない真似はやめたい、でもやめられない。

そんな状態。

そんなとき、もっと手軽にドーパミンを出せる方法(確か、マインドフルネス的な何か)を知ることで、危険な挑戦からは足を洗うことができたのだとか。

それほどまでに、ドーパミンの有無は僕たちの行動に影響を与えるわけです。

集中の性質が異なる

もう一つ、集中という部分でも大きな違いがあります。
これについても見てみましょう。

外向型は一瞬で集中できる

外向型の集中は、短期即決です。
さながら臨戦態勢に即座に入れるようなもので、カッとなる、血が滾る、そういう表現がぴったりです。

非常事態に対して即座に自分のやることを見出して、行動に移せる。
そういうのが外向型の集中ですね。

これは、外向型の体の仕組みがそういう風にできていることに起因します。
外向型の考えてから行動に移すまでの経路は内向型に比べて短く、そのため即断即決が可能であり、即座に集中することが可能となるのです。

もし仮に一瞬集中が途切れてしまうようなことがあっても、すぐに持ち直せます。
そもそも短いスパンの集中を何度も行うのが外向型のスタイルなので、一回くらい集中を乱されても気にすることなく次に移っていけるわけです。

内向型は集中に時間がかかる

内向型は、外向型の逆。
集中には準備と時間とエネルギーが必要です。

非常事態に対して頭が冷えて、冷静に自分のやることを見極めていけます。
……が、単に頭が真っ白になってしまうこともあるようです。

本の受け売りですが、内向型の集中は深い井戸の中で思索にふけるようなものとありました。

内向型は集中を乱されることを嫌います。
内向型にとっては、居心地のいい場所から引き摺り出されるような感覚なんですね。
さらに、内向型にとっては会話自体にもエネルギーを使うものです。

集中を乱されたうえにさらにエネルギーの消費を強制される。

内向型にとっては、何の罰ゲームだと言いたくなるわけです。
もちろん、再び集中しようと思ったら、改めて準備と時間とエネルギーが必要になります。

それもこれも、内向型の考える経路が外向型に比べて長いことに起因しています。
集中するためには単純に時間が必要で、一度乱されたらそう簡単には同じような状態に戻ることができません。

ライブで考えてみる

さて、ここまでの内向型・外向型の説明を踏まえて、ライブの問題を見てみます。

厄介……というとちょっと幅広すぎるので、ここでは例えば家虎を始めとした、現状ではごく少数だけが発している、楽曲に含まれない大声をあげる種類の応援行為について考えていきます。

で、ここまでの説明でだいたい何が言いたいかわかると思うんですが……。

この手の応援行為を受け入れることができるのが外向型、拒否反応を示すのが内向型ということです。

楽曲に含まれない大声というのは、単純に強い刺激ですよね。
特に内向型にとっては、不快な刺激になってしまいます。
(もちろん外向型にも不快に感じる人はいるでしょうが、とりあえずそれは置いといて)

集中を乱された内向型にもう一度集中すればいいじゃないかというのも無理な相談です。
もともと、外側から細かく情報を取り入れることができるのが内向型の強みです。

だからこそ、予想外の方向から強い刺激が入って来ると意識がそちらに持って行かれてしまいます。
『またあの声が来るのではないか』と気になってしまうんですね。

そのライブでは、二度と集中できずに終わることでしょう。

反対側から考える。

内向型の立場から、なんで奇声が迷惑なのかをいろいろと書いてみました。

が。

外向型側の立場で考えてみると……そういうことをする人の心理も、ある程度は理解できてしまうんですよね。

本当に退屈してるんだと思う。

たぶん、叫んでしまうような人はかなりの外向型のはず。

前述の通り、外向型は同じものを見ても退屈しか感じられません。
たぶん、彼らにとってはそれこそが真実で。

細かな条件の違いを『同じじゃない』と考えて、その差異を楽しむ内向型という人間がいることなど想像もしていないわけです。

そして、退屈ならば、外向型は次に何をするか?

自ら働きかけて、『退屈な演目』に変化を与えにいくでしょう。

つまり、他人の迷惑になる過剰な応援行為、というわけですね。

外向型にとっては一度見た演目を静かに眺めるよりは、むしろ家虎などの奇声によって変化がついた演目の方が好ましいのでしょう……という極論は、あながち極論でもないのかもしれません。

賛同はしかねるけど……

退屈だから迷惑行為に走る。
これって真実っぽいんですよね。

ライブで退屈を感じることの苦痛は僕にもわかります。

Aqours2nd埼玉の二日目。
すでに4回ほど見た演目を、細かい違いなんて目に入りようもないほど遠くから眺めたあのライブはなかなかにしんどかったです。
細かい違いはおろか、スクリーンすら双眼鏡が欲しくなる距離でしたからね。
ちなみにじもあいの終着点からも遠いという。

で、こういうときって内向型はもう帰るか耐えるかの2択なんですよね。
新しい刺激を自分から発するのは、それはそれで苦痛ですから。

でも外向型にとっては、自分で刺激を生み出して退屈を紛らわすという選択が取れてしまいます。
彼らにとっては退屈に耐えることそのものが耐え難い苦痛

だから彼らは叫ぶんでしょう。

そうやって考えると、彼らのことを少しは理解……したくないんですけど、せざるを得ないかなというか、まあそんな感じです。

0 件のコメント :

コメントを投稿

スーパーいいね!ボタン