無理の基準が自分なりに見えてきた。

昨日の記事がどう見えるかもよく確認しないままに今日も調子に乗って同じ方法で挑みます。


まあ、別に無理してるとかどうとか、僕の状態に関係なく忙しさは襲いかかってくるわけで。
別に無理してるかわかったところで意味はないんですけどね。

いや、ないということはない……はず……


前振り

人間は信じたいものしか信じないそうです(挨拶)。

いや、なんかそんな話をしたくなっただけで深い意味はないです。
皮肉でも言わないとやってらんないってだけです。

今日はこの、「やってらんない」がらみで思うところを書いてます。


ささやかな自慢話

以前に、自分が無理をしてるかどうかわからないならこれ読めよ、という記事を書きました。
おかげさまで、紹介したメンタル教官の本は散発的に売れています。

月2くらいで。

もちろん誤差と笑われそうな数字(疲労困憊による被害妄想かもしれない)ではありますが。
それでも月間PV30kのあたりを長いこと彷徨ってる底辺ブログとしては目立つ存在なんですよね。



というわけで。

というのと、最近無職を退職して再び以前のような忙しない(文字通りに)日々を取り戻してるんですが。

それでも以前とは異なる学びを得られているという自己弁護……ないしは、せめてもの抵抗?

その辺りの意味合いを絡めこんで、無理をしていると感じるために使えそうな基準について書いておこう。

というのがこの記事の元ネタです。


大したことではないけれど

散々もったいぶっておいてそんな結論かと思われそうだなと思い始めてます。
気にせず進めますが。

無理とは、自制が効かなくなること。

という一言で表現できるのではないかなと。

砕けた感じで表現するなら、「なんであんなことしたんだろうという場面が増えた」ということですね。

僕の場合だと、無駄だとわかりつつ買い食いが増えて食費がかさんでるとか。

早く寝たほうがいいのに夜更かししてしまうとか。

やるべきことを後に回してグラブルしてしまうとか。

自分の書いた言葉に、自分で、ツッコミを入れずにはいられない(こういうの)とか……。


そういうところが無職時代から変化したというか、自分がどんどんクズ化しているという感覚があったのですが。

無職と社畜時代を比べることができたおかげで、どうやらストレスのはけ口的なものをそのへんの自暴自棄で代替してるらしいという考えに至りました。



そんなわけで、どうやらこれはもしかしてもしかすると。

「私の生活のストレス、高すぎ……!?」(例のポーズ)

となったわけです。



……「私のストレス耐性、低すぎ……!?」の間違いかもしれないのが恐ろしいところですが。


責任転嫁かも。

こうして色々書いてて、無理してるんだろうなあと思いつつもそれだけではないよなあ……という気持ちになる部分はあります。

ストレスのない生活、無理のない生活になったところで先の問題点が改善されるかといえば別にそんなこともないですからね。

夜更かししたり記事よりゲームを優先したりくどい言い回しを好んで使ったり、というのはもはや生来の気質というようなものです。

というのを踏まえると、ここまで書いてきたことももしかしてその一環で、「無理しているということにせずにはいられない」だけなのでは……?

などと話題が一周したところで怖くなってきたので終了します。


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いらっしゃい