残業をきちんと付けなければならない理由。
残業の仕組みが面倒。
普通の勤怠の他に、残業用の勤怠が必要というクソみたいな二重管理の制度があります。
残業で忙しいと、この管理をするのを手間に感じて、残業をつけなかったりします。
冷静に考えると一万円以上のお金をドブに捨てているんですけどね。
でもその管理のためにさらに30分残業するのも耐えられないくらい、残業で疲れていると面倒になってくるんですよね。
会社としては願ったり叶ったりなのでしょうが。
ただ、それじゃいかんよなあ、というのも頭ではわかっています。
今回は、そのあたりを自分に言い聞かせるために、無償の残業をすることの悪影響について書いてみます。
仕事の意識がだらしなくなっていく。
無償で残業するというのは、自分の仕事の時間がいい加減になっていくことと同じです。
そりゃそうですよね。
最初こそ業務の延長でがんばれますけど、それに慣れてしまえば、『どうせこの時間はがんばってもお金が発生しない』ってことを学習してしまいますから。
それに見合った仕事しかできなくなります。
で、最終的に、『どうせ残業するんだから』と、日中にサボるようになります。
もうこの辺りまで来ると、自分で『まずいなー』なんて思う程度では、どうにもできなくなっています。
むしろ、会社への間接的な復讐(給料泥棒)ができていることに快感を覚えるようになったり。
いろいろ終わってます。
人間は甘ったれ。
佐藤優さんの交渉術って本に書いてあったことには、人間は『やってもらったこと』と『やったこと』の認識が非対称になりやすいらしいです(だいたい後者の方が大きくなる)。
で、『自分はこんなにしているのに見返りが少ない』なんて考えてしまうようになると。
自分の場合も、ものすごい思い当たるところがあります。
『残業時間をチャラにしてやってるんだから、これくらいサボっても当然』なんて。
仮にその勘定が合っていたとしても、それが習慣化していくと『決められた時間のなかで仕事を仕上げる』ということが難しくなってしまいます。
よって、残業がさらに残業を呼んでしまうという、悪循環に陥ります。
巻き返すのが難しくなっていく。
この、『無償で残業する』ことが常態化して、それを逆手に取って仕事をサボって、それ自体を『会社への復讐』として楽しむような精神状態って、結構行くところまで行っちゃってるんですよね。
間接的な復讐行為というのは、抑圧に対する精神状態の最終段階として説明されることが多いです。
時間をかけてサボってもいい、サボっても当然、ということを学習してきた結果なので、これをまともなところまで戻すのにはかなりの時間がかかります。
こうなってくるとほぼ手詰まりなので、根本的な対策が必要になるわけです。
むすび:そんなわけで退職に向けて動いてます。
というわけで無償の残業をすることの悪影響について考えてみました。
無償の残業をがんばれるのは最初だけ。
いずれ慣れてしまって、働いた分を他でサボるのが当然とか考えるようになる。
最終的に復讐心を持ってサボるようになると、そこから修復に持っていくのはとても難しい、ぶっちゃけ仕切り直したほうが楽、そういう話でした。
で、これはまさに自分のことなんですが、ちょっとまずいよなあこのブログ、転職活動に使ってるFBのアカウントでも宣伝してるんだぞ、ということを思い出して今ちょっと内容を見直そうか迷ってますけど面倒なんで押し通ります。
採用の人はこんなもん読まないでしょ! 大丈夫大丈夫!(不安)
そういうこともあって、最近月1ペースくらいで上司に退職したいですメールを送りつけるという趣味の悪いことをしてました。
いや、違うんですよ。
嫌がらせをしたいんじゃないんですけど、自分がコミュ障なのと上司が体育会系なのが災いして、なんか一時的な気の迷いみたいに思われて、『もうちょっと考えてみよう』みたいな結論に持っていかれるんですよ。
なんで数をこなしているという。
こちとら3年くらいかけて退職を決意してるんだってのに。
まあ言ってないし言うつもりもないんで伝わるはずもないんですが。
最近ようやく気の迷いじゃないことが伝わったみたいで、辞めどきを考えよう、というところまで進んでまた話が止まってます。
ごめん上司。
またメールするかも。