テレビを見てると馬鹿になる。
テレビが嫌い
まず前提として、テレビが嫌いです。これについて考えてみると、テレビから得られる情報の性質と、コミュニケーション下手ゆえの逆恨み、という面があるようです。
この2つは、テレビから得られる情報の性質というのがまずあって、だからテレビを前提にしたコミュニケーションについていけない。という構造を取っているようです。
後者はなんというか逆恨みで、テレビというよりは僕自身の問題なので、今回は捨て置きます。
というわけで、テレビから得られる情報がなぜ嫌いなのかを書いてみることにします。
情報過多
これはある程度最近だと思うんですけど。なんかある時を境に、字幕が過剰になったような気がするんですが。
ともかく、過剰です。カッコで言いたいであろうことを勝手に補完するとか、どんなものにも字幕を入れるとか。
なんか、こっちの理解が強制されているようで、受け入れがたいんですよね。
他にも、動物の番組とかで、動物の声としてアテレコしてるやつがありますよね。あれも無性に『そんなこと考えてるのか?』と懐疑的に見てしまいます。
誤解させない作り
上記のような過剰な情報の付加が何を狙っているかと言えば、視聴者に誤解させないようにしているわけですよね。
『なにを言っているのかわからない』なんて、くだらないクレームがつくことを避けているわけです。
これを避けるのはわからなくもないです。ただ、それって一見親切なようで、その実『馬鹿に合わせて作っている』ってことに他なりません。
本来はテレビは好きだと思う
・・・とまあ、テレビが『馬鹿に合わせて作られている』ということを感じて以降、積極的にテレビを見なくなりました。
あのような過剰な情報があるなかで番組を理解することに慣れてしまうと、それがない状態では理解できなくなる、要するに馬鹿になると感じたからです。
そういうことに気を付けて見れる人ならいいのでしょうが、残念ながら本来の僕はテレビは好きな部類だと思います。
たぶん一日のかなりの時間、食い入るように見続けることができます。
ただ、だからこそ、今のテレビを見ているとヤバい。そう感じて、距離を置くに至りました。
むすび:今って少しは変わったのかな。
というわけで、テレビは誤解を生まないように作られてるけど、それってなんも考えないで見てる人でも楽しめるってことだよ。なんも考えないことが得意な人は、見てると頭が悪くなるよ。って話でした。
テレビと決別したのは10年くらい前ですので、今は違うかもしれませんが。たぶん同じ感じだと思うので、今頃になって書いてみました。
まあ、僕がテレビを見なくなって何をしていたかと言えばネトゲ廃人に片足を突っ込んでました。
なので結局、テレビが全面的に悪いわけではなく、使う人が残念なことがほとんどなんでしょうね。