μ'sのファイナルラッシュを凌いで思うこと
こんな辺鄙なブログを覗きに来るような強い信仰心を持たれる諸氏 におかれては問題ないとは思うが、息をしているだろうか。
ファイナルライブについては以前に傲慢にもμ' sが完成したとかなんとか言ってたこともあり。
そうなるだろうなーと思ってはいないものの、 覚悟はしていたというか。
そこまでの衝撃ではなかったのだが。
まさかまさか、ナンバリングさえもファイナルとは。
そうなるだろうなーと思ってはいないものの、
そこまでの衝撃ではなかったのだが。
まさかまさか、ナンバリングさえもファイナルとは。
という一連の衝撃がファイナルラッシュであった。
ナンバリングタイトルは本来の(アニメではないという意味で) μ'sの活動の基盤となるものと認識している。
そして、これが文字通りにファイナル、最後となるなら。
そして、これが文字通りにファイナル、最後となるなら。
まぁ、 既にその言葉を軽はずみに使うとラブライブヤクザがやって来るの であまり使いたくはないが。
事実上の解散。
そう認識されても仕方ない面はあると思う。
敢えてその言葉を避けるならば、「μ'sはおしまいにします」 でもなんでもいいけど。
扱いはどうあれ、これ以上作品が増えない、 という一番重要な一点は揺るがない。
そしてそれはとりもなおさず、次のことを示している。
センターのチャンスは、あと一回きり。
その時に備えて、自信を持って投票に臨めるように、 備えておきたいものだ。
まだセンターになっていない娘に投票すべきか?
それとも、 最後なのだからリーダーにバッチリ決めてもらうべきか?
実際悩ましいぞこれ。
ところで、 ファイナルということで最後だとばかり思い込んでいるが。
ファイナルという言葉は、 必ずしも終わりを意味するものではない。
そのことを日本人はよく知っているはずだ。
そのことを日本人はよく知っているはずだ。
初回からファイナルを謳いながら、μ' sのナンバリングの倍以上のタイトルを出し続けている、 あのタイトルのことを。
週に一度は愛も届くし。
週に一度は愛も届くし。
だから、ひとまずは希望を捨てることなく生きていこうと思う。