久保ユリカの歌う「なわとび」の意味。

久保ユリカの、雑誌企画などではないという意味でも初の、台湾イベントが行われて、終わった。


内容としては大学祭イベントに毛が生えたような・・・というと失礼なのかもしれないが、実際そうとしか表現できない内容だった。 
違いといえば権利関係の都合が付くおかげなのかは知らないが、歌を歌ったことくらいだろう。 
まあ、大学祭レベルだからどうだというつもりはなく、そこに特段の不満はない。
 (期待がなかったということではあるが) 


さておき、ここでは歌パートについて感じたことを書いてみたい。 

久保さんは今回、胃痛ラジオのテーマ曲のOPEDを昼夜で一曲ずつ、両方でなわとび、夜のアンコールで残酷なやつを歌った。 
久保ユリカ名義のイベントで、なわとびを歌う。 

これについて思うところがある久保ヲタクは多いだろう。 
つまり、久保ユリカという声優は、もともとがヲタク気質であり、役を尊重する人間である、と理解している久保ヲタクは多いはずだ。
そこで、キャラ名義の感謝の歌を、久保ユリカとして歌う。 
拒否感が出てしまうのは、仕方ないことだろう。 

だが、久保ユリカという人間をそうであると理解しているからこそ、その行動には何らかの意味があると信じたい。 

決して、日本からのヲタクへのファンサービスなどというようなくだらない理由で歌ったのではないと信じたい。 
あまつさえ、運営側からぜひ歌って欲しいと言われて、歌うべきではないと思う曲を歌ったとは思いたくない。 



ので、久保さんが、なにか理由があって、むしろ歌うべきだと感じたから歌ったのだと思いたい。 
と思って聴いていたので、僕としては、あの瞬間、なわとびという歌が花陽からのμ'sへの思いを歌った歌ではなくて、久保さんの全力の感謝の歌として、特に努力することなしに聞こえていたし、「ありがとう」の代わりの、「謝謝」では、本当に泣けてきていた。 


そもそも、久保さん自身、「なわとびは自分の中では最高のありがとうソングで、メンバーやゆきみのような、限られた人に対して歌う曲」なんて言っていた覚えがある。 
そういう意味ではファンに対して、かなりのデレが見れるように思える。 

いや、ファンに限定しているわけではないかもしれない。 
instagramにも書かれていたように、今回のイベントは久保ユリカ1人のイベントだけれど、久保ユリカ1人で作られたわけではなくって、そしてスタッフだけで作り上げたわけでももちろんなく、現地や日本のファン、そして会場で使われるネジを作った人まで含めた、みんなで作り上げたものであり。 


その、極大の「みんな」に対して、感謝を表すために「なわとび」を歌った。 
それは花陽の曲ではあるけれど、久保さん自身、最高の感謝の歌を他に知らないから、あるいは究極の感謝の形だと思うから、それを押して歌った。 


だからまあ、要するに、ラブライブ!の曲として歌ったのではなくて、あくまで『ありがとうって溢れ出してくる』歌として歌った・・・ という受け取り方なら、しっくり来るんじゃないかな。 だめかな。 

どうでもいいんだけどああいう場面で歌うのあんまり好きじゃなくてな。 聞き役に回りたいんだよな。 

あと久保さんの手のひらはならこいのときと同じでしっとりしてた。