高槻かなこは国木田花丸になれない。だからこそ高槻かなこは国木田花丸になれる。

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前振り

花丸さんの誕生日ということで、高槻かなこさんと国木田花丸さんに対して僕ができる最大限の賛辞、あるいは妄言を書いておこうと思う。

以降では、高槻かなこと国木田花丸の共通点と相違点を上げ、そこからなぜ同じになれないのか、なぜ同じになれるのかを説明する。

共通点と相違点

まず、3つの共通点と、1つの相違点について説明をする。

共通点とは、高い歌唱力、体力のなさ、身長のコンプレックス。
相違点とは、身長そのものだ。

順番に見ていく。

高い歌唱力

この2人を比べたとき、多くの人が最初に思い浮かべるのが、歌唱力ではないだろうか?

高槻さんに関してはもともと歌手であること、花丸さんに関しては英語版サイトで「gifted singer」などと称されていること。
これらのことから、少なくとも設定的な歌唱力の高さというのはわかりやすい共通点としてあげられる。

また、設定的な部分と実際に歌がうまいかどうかについては別の話になるのだが、少なくとも高槻かなこ名義の曲を聞いたことのある方におかれては、異論のある方はいないだろう。
CDの裏側でも、ふわっとした書き方で評価されている(『高槻かなこさんのカバー曲について勉強してみる。』)。

日本の女性アイドルの歴史が変わるかもしれない予感がするような気がする逸材、満を持して登場!なのかもしれない。

どうでもいいけどこの煽り文句の自信のなさ、淡島の銭洗弁天の立て看板と似ている。

盛大に話が逸れた。
ともあれ1つ目の共通点として、歌唱力の高さが大きなポイントとして挙げられる。

体力のなさ

高槻さんが先日のライブ1日目に最後の挨拶で触れたテーマのひとつ。
それが体力のなさだ。

2015年の夏に行われた合宿で、高槻さんは他メンバーとの体力の差を強く感じ、その状況を振り返って『自分にとってのゼロ』と表現した。

この話を聞いて、アニメ4話の花丸さんを思い出した人は多いのではないだろうか?
きっと自分には無理だ・・・そう思いつつも、強い憧れから、ルビィを誘うという口実を利用してスクールアイドルをやってみる。
しかしルビィにすらついていけないほどに体力がないという現実を前に、一度はスクールアイドルを諦めようとした。

まったく同じ経験というつもりはないが、要点としては共通する部分が多い。

  • Aqoursの一員として、まさに活動を始めようとしている時点であること。
  • 他のメンバーとの体力の差に大きな隔たりがあること。
  • 自分の体力が問題にならないレベルであること。

このように見ると、時期や状況がかなり近いということがわかる。
いずれにしろ、体力がなかったという共通点は、2人に共通の体験をもたらしたのだ。

身長へのコンプレックス

さて、体力のなさとあわせて高槻さんが触れた2つ目のテーマ、それが3つ目の『身長へのコンプレックス』だ。

高槻さんは話の中で、自身の身長の高さが現実のAqoursのなかで最大である点と、花丸さんが作中のAqoursのなかで最小である点に触れた。

また、花丸さんも自身の身長の低さについてはたびたび言及しており、それをして『魅力がない』という自己評価をしている。
同じくらいの身長のルビィが「ちっちゃなルビィのちっちゃなハート」などと身長の低さを武器として使っているのとは対照的で、花丸さんは明らかに、身長の低さを自分の欠点として気にしている。

ここで主張したいのは、以下の2点だ。この2点によって、身長に関しての共通点を見出すことができる。

  • 身長そのものはあまり問題にならない
  • 本人が気にしていることが重要

身長そのものはあまり問題にならない

身長そのものが問題ではないことは、以下のことを考えれば明らかだろう。

彼女たちの身長が数センチ高かったり低かったり、もっと高かったり低かったりする他のメンバーがいたらどうなるか?

答えは、『別にどうにもならない』だ。
身長を理由に好き嫌いが変わる人なんて、さほど多くはない。その対象がステージで見つめるだけの存在であるとか、たまに近くで言葉を交わす機会があるだけの存在であるならばなおのことだ。

つまり、身長が高いだとか低いだとか、ましてやそれがメンバーの中で一番であるかどうかといったことは、大した問題ではないのである。

本人が気にしていることが重要

だがその一方で、自分の身体的特徴を気にしているかどうかという要素は、魅力の根幹に関わるレベルで重要になってくる。

かつて、泉こなたの迷言『貧乳はステータスだ、希少価値だ』を『リナ・インバースのような恥じらいが足りない』として切り捨てたヲタクがいた。

もう少し一般的な話をすると、『魅力に欠ける』という物理的な特徴だけで魅力を感じるという嗜好がある一方で、それを必要条件に過ぎないとする嗜好も存在するということだ。
後者の嗜好の場合は『魅力が欠けていることを気にしている』という精神的な特徴もセットでなければならず、単に『魅力が欠けている』というだけでは、魅力を感じることができない。

『なんか違う・・・』となってしまうわけだ。

ここで言いたいのはそれがいいとか悪いとかではなくて、両者は明確に区別されなければならないということだ。
そしてそれほどまでに、本人が気にしているかどうかという要素は重要であるということなのだ。

身長という要素への向き合い方が同じ

ここまでで、身長が高いか低いかということはまったく問題ではないこと、そして身長という要素を気にしているという構図こそが重要であるということを説明してきた。
これらを合わせて考えることで、次の結論が得られる。

「身長を気にしている」という点で、高槻さんと花丸さんは完全に一致する。

このように、『身長』ではなく『そのコンプレックス』という部分が3つ目の共通点として挙げられるのだ。

身長の違い

さて、最後に挙げるのは、相違点である身長の違い・・・なのだが、身長へのコンプレックスの話をするためには身長の違いについて触れないわけにいかなかったので、別段書くことがない。

というか、高槻さんと花丸さんの身長には大きな隔たりがあるというのは説明するまでもないし、それだけのことだ。

それだけで終えるとしよう。

共通点と相違点が与えてくれたもの

ここまでで、2人の共通点と相違点について説明してきた。
続けて、これらのことから何がわかるかを考えてみる。

共通点からわかるのは、彼女たちが似ているものを得た、ということだ。

  • 歌唱力の高さは、彼女たちにAqoursでの役割を与えた。
  • 体力のなさは、彼女たちに共通の体験を与えた。
  • 身長へのコンプレックスは、彼女たちに同質の魅力を与えた。

だがこれだけでは、単に似ている、という以上のことにはならない。
国木田花丸に『なれない』も『なれる』も、どちらの結論も見出すことはできない。

結論に至るためには、さらっと流しただけの相違点の方がはるかに重要だ。
それは相違点が、高槻さんだけに以下のものを与えたからだ。

  • 身長の違いが、高槻かなこに対して『無限に努力できる動機』を与えた。

高槻かなこは、無限に国木田花丸に近付ける

もし高槻さんが花丸さんと同程度の身長だったら、歌も見た目もただの国木田花丸・・・として、すぐに成長が止まってしまっただろう。
なぜならば、完全に一致してしまったら、そこから動く必要はないからだ。

しかし、現実には、身長差という絶対に乗り越えられない壁がある。歌唱力や体験など、似ている部分がある一方で、絶対に近付けない差が存在してしまっている。
この絶妙なアンバランスは、試行錯誤し続けるための強烈な動機となる。

高槻かなこは国木田花丸を目指す限り、満足することは絶対にないだろう。
一時的な満足はあっても、すぐに、もっと高みを目指すことになるはずだ。
なぜなら身長という、本人を含めた誰の目にも明らかな部分が、決定的に異なっているのだから。

ただその一方で、コンプレックスの項で触れたとおり、それらはあくまで本人のこだわりに過ぎない。
外側から見る分には『身長はあまり問題ではない』というのは変わらない。その上で、高槻かなこは『本人が気にしている』ので、無限に努力をし続けることになる。
その結果として、国木田花丸に近付くための無限の努力の成果がヲタクに対して届けられることになる。

すると、どうなるだろう?

ヲタクはさほど努力しなくても、高槻かなこが国木田花丸に見えるようになるだろう。
いやむしろ、高槻かなこが国木田花丸にしか見えなくなってしまうかもしれない。

そう、これこそが、高槻かなこは国木田花丸になれないが、だからこそ高槻かなこは国木田花丸になれると主張する理由である。

むすび:お誕生日おめでとうございます。

というわけで、誕生日にかこつけて、高槻かなこさんと国木田花丸さんについてという根本的なことを考えてみた。
共通点もあるけれど違う部分もあって、それは本人以外にはそこまで大事じゃないんだけど、本人にとっては避けて通れない部分で。
でもだからこそ、高槻かなこは国木田花丸になろうとし続けることができる。
そういう話だった。(伝えきれなかったらすみません)

それはちょうど、 0.999… と無限に続く値が、どう見ても 1 には見えないけれど、しかし 1 と同値であるということとよく似ている。
電卓上で9のボタンを何度押してもその高みには至ることはできないことや、それが理解できない人間が存在するというあたりまで含めて。

なお、今回記載したことと、高槻かなこさんが自身のインスタで『あの2日間、自分は国木田花丸だった』と主張していることは、なんら対立するものではない。
つまり、それは一時的な満足の状態であるわけだ。
すぐに、Next Step(2nd Stepって言いそうになる)に向けて、無限の努力をしてくれることだろう。

僕はそう信じている。

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