【俺たちはVの】Vtuberとの距離感バグりがちなヲタクは精神科医の動画を見ような【ママじゃない】

(自己紹介)

前振り

悲しい動画を見ました。 いろいろ考えてしまったので吐き出すために書いています。

なお、動画主のことは強打者であるということしか知らないので、何があったかとかは全てエスパーです。

感想

動画を見て、「かわいいを押し付けられたのか、難儀やなあ」みたいなことを思いながらチャンネルに飛んで、そこで初めてじっくりと立ち絵を見たんですけど。

いや、その顔でかわいいと言われたくないというのはちょっと無理があるのでは……?

というのが正直なところでした。

事務所からの説明が何かしら足りてなかったのかなぁ。 言わない方が良いと言われたというくだりも、事務所側は可愛いって言われるのはしゃーないというか、想定してそうだよなと。 まあここはエスパー通り越して杞憂のレベルですが。

で。

もちろんその上でヲタクの側が「解釈違いですわ、さよなら〜」となればよかったし、そうなるべきだったんでしょうけど、そうはならなかった。ならなかったんだよ、ロック。

でもまあそこはポイントじゃなくて

感想としてはそっちが先に来ちゃいますけど。

動画の要旨としては法的措置に集中しますってことですよね。

良い感じに決着つくといいなあ。

その原因となった誹謗中傷や荒らしの類も、幸いにして自分は目にする機会もなかったし自発的に肥溜めを覗き込む趣味もないし想像したくもないんですけど。

まあ結局のところ、この件については

モンペと化したリスナーが法的措置を取られるに至りました

と言う話でしかないのかな。

というレベルで感想を止めておくのが精神的に良さそうです。

本題

前振りはそんなところで。

ただ、迷惑さ加減はどうあれ、モンペと化すところまでは自分も思い当たる部分があるんですよね。

なのでなかなか人ごとじゃなかったというか、たぶん自分もこういう風に思わせてしまってたりするんだろうなあとかいろいろ考えてました。

いろいろなVの方が反応しているのも、そういう向きを安心させるのが目的なんだろうなと。

で、いろいろ考える中で、大変勉強になったなと感じた精神科医(とかゆずみまい)のお話を思い出しました。

1:11くらいから(が該当部分だけどそれ以外も勉強になります)。

投影や所有。

雑に言うと「自分の理想を押し付けてしまう」とか「自分のものであると勘違いしてしまう」といった概念の話がされています。

Vの中身は人間なんだけど、見た目が絵だから人間ということを忘れてしまう人が多いみたいな。

まあ詳しくは動画を見てもらうとして。

我が身を振り返って

で、そんな概念を学んで、めちゃくちゃ思い当たるな……と思ったわけです。

Vのものに触れ始めて感じたこととしてリアタイとアーカイブ視聴とでなんか精神状態に差があるなと感じていて。

配信は夜なことが多いので、単純に疲れてて我儘になりやすいみたいなところももちろんありそうですけど。

まだ相手の行動が確定していない、自分の指示で変えられる可能性がある(気のせい)、みたいなところで、先の投影やら所有やらの押し付けがましくなる精神状態を誘発しやすくなってたのかな?

と、このアーカイブを見てめちゃくちゃ納得できました。

対策

そんな話を踏まえて。

引き続きアルパカの話になってしまうんですが、距離を取るのが必要だなと認識できるようになりました。

そもそも、人様に迷惑をかけてしまうとか以前に、そういう押し付けがましい精神状態でリアタイするのってあんま楽しくないんですよね——。

見てる最中も相手が思い通りになるわけはないのでイラついちゃいますし、その気持ちをコメントに残そうものなら後から思い出してさらに自己嫌悪しちゃったりで。

そういうことを学んだ結果として、なんとなくよくないなと思うタイミングではリアタイを避けるという判断ができるようになりました。

あとはそんな考えを知ったことで、自分のマインドがダークサイドに堕ちそうになってるのを認識できるようになったり——。

そんな感じで

読書感想文(?)でした。

リアタイには魔物がいるよね。

みたいなそんな話。

そんな話でしたっけ。

とりあえずかゆずみまいのアーカイブは見るべき。

なおリアタイを避けるという対策に対して、ノーリアタイノーライフみたいな考え方もあるので、リアタイを避けるというのは受け入れづらかったりもするのかなと思います。

その考え方も理解はできます……というか、アルパカもリアタイや現地は大好きな偶蹄類です。

もちろんリアタイにこだわるのをやめろという話でもないですし、全力を注ぐのもありだとは思います。 今回のようなことが起きないならば……ですけども

ただ、アーカイブにはアーカイブの良さがあるということも認めていく方が楽に幸せになれるとは思います。

幸福は義務ですので、いい感じの考え方を採用できるように祈っております。

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