残業多かったときを振り返ると、確かにあのとき死にかけてたんだよなって思う

最近、残業時間の抑制的な話題を見かけます。
僕は業務時間と報酬は分けて考えるべきだと考えてます。
みなし残業とか、憧れてます。
報酬の中に含まれている残業時間をどれだけ抑制できるか。早く帰れるようになればなるほど得をするシステム。
もちろん、そのあたりの合意を作らずに、間違った認識で形骸化しているというのは問題外ですし、多分そんな表面的な認識だけだとうまくいかないような気もします。

・・・というくらいのことは、僕のような無名のアルパカにだって垂れ流せるわけですが。
おそらく僕が語るそんな一般論なんか誰も読みたくないでしょうから、人並みに社畜として残業した経験を振り返って、今回の一連の話に関連する部分を抽出してみたいな、と思います。

過労死ライン

とは言っても、一応自分の残業時間がどんなものかっていうのと、その時間を僕がどう考えているのかってことを説明するために、もう少し一般論を続けさせてください。

過労死ライン・・・というか、過労死として認められる就労時間には基準があります。
なんて話は、今の御時世では常識になりつつありますかね?
調べればいくらでもWikipedia先生の記述やら解説してる記事やらは見つかります。

ちょっと記述がわかりにくいですけど、ここで書かれていることを素直に受け取ると45時間以上残業してる状態で死ねば過労死認定ワンチャンあるで!ってことだと僕は認識しています。

世間では80時間以上が過労死ラインなんて言われてるみたいなんですけど。
あれ、なんでワンチャンあるところで制限かけようとしないんでしょうね。
そこらへん、『死ぬやつが悪い』みたいな本音が透けて見える気がします。

『添加物なんかは影響が出る(と思われる)数値よりも遥かに低い数値を基準としているのに、なんで残業時間は実際に人が死ぬところで制限かけてんだよ』なんてツイートも目にしました。
本当にそのとおりだと思います。

まあ、毒物による物理的な作用と違って、仕事から受けるストレスは人それぞれなうえに目に見えない、というのが大きいのでしょうね。
社畜をしている感覚としても、やりたくてやってる残業と、無駄だと思いながらやってる残業とでは受けるストレスはかなり違います。
死ぬ残業と死なない残業があるというか。

まあ、あくまでそれは精神的な問題で。
いつかは長時間労働そのものによる蓄積ダメージが、肉体の限界を超えて死ぬわけですけど。
ただ、それもひとそれぞれで、短時間でうまく休める人というのはいるにはいるので、そこでも死ぬ人と死なない人が別れてくるんですよね。

自分の場合。

で、ようやく本題の自分のことです。
前置きが長くなりすぎまして申し訳ありません。

自分の場合は、定期的に炎上案件に放り込まれているので、残業100時間超も、数ヶ月連続での残業45時間前後も、どちらも経験しています。
途中から残業をつけるのが面倒になってなかったことにした時間をあわせると、結構危ないところを渡ってるんじゃないかな。

自分がそんな経験をしていると・・・世間では、脱落した人に『自分は大丈夫でしたよ』なんて言う人も存在してるみたいですけど。
僕はとてもじゃないですけど、アレに耐えられなかった人に『甘え』なんて言う気にはなれません。
というかアレを他の人に味わってほしいとか、成長できるとか、そんなこと思っちゃ駄目だろと思います。

仮にああいう激務から、何かを獲得できるとしたら・・・鈍感さぐらいのものじゃないですかね。
具体的な効果としては、自分を労ることを忘れるとか、体の発する悲鳴を聞き取れなくなるとか、間違ったルールだろうと盲従するとか。
立派な奴隷社会の歯車になるためには、必須スキルですね。アニメなら目のハイライトも消えることでしょう。
うける。
うけない。

だいたい、僕が生きてるのってたまたまなんですよね。他のメンバーはちょいちょい脱落してます。人生から脱落した人もいました。
なので、そもそも『僕は大丈夫だった』なんて言うつもりにもなれません。

今から思い出しても、なにやってたか覚えてないですしね。正確に言うと思い出したくないんですけど。
何も覚えてないってことは、実際問題として、死んだようなものだったんだろうな、なんて思うわけです。

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