けものフレンズネタだけじゃない! サピエンス全史で資本主義という宗教を学ぼう。

以前にけものフレンズ的なネタとして、サピエンス全史という本を取り上げました。

全史と言うだけあって内容は多岐にわたっていて、実はまだ読み終わっていなかったりします・・・。
そんななかで、また衝撃的な部分が出てきたので、取り上げてみます。
今回は、資本主義と消費主義という2つの宗教についてです。

資本主義=宗教。

資本主義が宗教という定義について、まずはどう感じるでしょうか?
まあ宗教でもイデオロギーでも、言いたいことは変わらないので好きな方を使えばいいんですけども。

人間の共同体は単一のものを信じることで、そこから生じる似たような価値観を利用し、人々の摩擦を軽減して運営されます。
要するに、神の教えを信じると幸せになれるとか、資本を持っている人が幸せになれるとか、そういう同じことを信じている・・・と、お互いに信じることで、人間関係の前提部分がある程度構築されるわけですね。

結局、神か資本か、その程度の違いしかないんで、この部分はスルーしちゃってください。

科学革命と農業。

で、ちょっと遠回るんですが、話は科学革命から始まります。
というのも、このサピエンス全史自体が、革命という切り口で人間の営みを語るというものなんですね。
なのでまず、革命が農業に与えた影響というところから始まります。

科学革命というのは、科学と資本主義の相乗効果によって、西洋が世界を制覇するまでの一連の流れです。
いろいろな機械やら技術やらが生まれて、原子を操るところまで行き、その向上はいまも現在進行形で続いているわけですが。
それはそれとして、ごくごく最初期にこの革命の恩恵を受けたのは、農業だったそうです。

農業において、いままで人間や家畜が従事していた作業がどんどんと機械に置きかわり、様々な効率化がされていきました。
今日では、アメリカの農耕従事者は人口全体の2%ほどしかいないとかなんとか。
2%だけで残りの98%と、さらに輸出する分を賄ってるわけですね。

この割合、一番多いときは90%以上とかだったらしいんで、その違いには驚くしかありません。
まあ、母数はだいぶ増えているはずですので、単純な割合では比較できませんが。

加速する生産。

さて、農業が効率化することでなにができるようになったでしょうか?
といえば、残りの98%の人たちが暇になったわけです。
そして資本主義というのは、世界をプラスサムゲームと考え、生産を是とするルールで成り立っています。

我ながら言っててわかりにくいんで例を挙げますと。
人類全体の資本の総量が10のときに、1しか配分を受け取ることのできない弱者がいたとしますね。配分は1割です。
強者は残りの9をぶんどっていくわけです。搾取されてますねー。
しかし、強者はその9を使って、資本を拡大していきました。

ある時点で資本の総量が100になったとしましょう。
このときに弱者がありつける配当は、いくらになるでしょうか?
さっきは1割を受け取ってましたね。
ということは・・・100の1割。10を受け取れることになります。

10!?

すごーい! 最初の強者の取り分の9よりも多いよ!
資本主義ってすごいんだね!

・・・言ってて虚しくなってきましたけど。ルール的にはそういうことになってます。

で、話が盛大にずれたんですけど、このルールに従うと、人々は当然ながら生産します。
生産で得られた利益も、投資として、生産に回します。
これにより、どんどんと生産が加速していきます。

さて。
そうなると、人類の98%が農業以外のことを生産することになるわけですが・・・このとき、何が起こるでしょうか。

火を見るより明らかですね。

需要を供給が追い越すわけです。

消費主義の出現。

無限に生産できても、買う人がいなければ破綻します。当然のことですよね。
常にものを買ってくれるなんて都合のいい存在は、現実には存在しません。

そこで何をしたかというと、人々の意識を消費する方向に向けさせました。

それまでの『供給が需要よりも少なかった時代』においては、倹約は美徳とされてきました。
倹約しないとリアルに死ぬ時代だったわけなので、その方が都合も良かったんでしょうね。

しかし現在、そんな調子で倹約されたら資本主義が成り立ちません。
現実に、倹約しなくてもある程度生きていける世の中になっています。
そこで倹約ではなく、消費によって欲望を実現することを正義とする、消費主義が倹約に成り代わったわけです。

生産者と消費者の立場の逆転。

このようにして、資本主義と消費主義という2つの価値観が生まれました。
歴史を振り返ってみても、このように2つの立場が存在する社会は珍しくありません。
貴族と農民のように、いくらでも例を挙げることができます。
ただ、この資本主義と消費主義が生み出した2つの階級は、それらの立場を入れ替えた点で、従来のものと大きく異なっていました。

どういうことかというと、今までは、消費者が富んで生産者が貧していました。
貴族は豊かな消費者で、農民は貧しい生産者でした。

今ではそれが逆転しました。
資本家は倹約し、その資本を再投資することでさらに資本を拡大します。
大衆はわずかばかりの財産を切り崩して、消費と浪費に励みます。
豊かな生産者と、貧しい消費者という構図になったわけです。

これは、サピエンス全史曰く、画期的なことだそうです。
というのも、資本主義と消費主義の2つの価値観を利用することで、すべての人が「正しいことをしている」だけで世界がうまく回り始めたのですから。

投資も消費も正しい。

すべての人が正しいことをしているだけで世界がうまく回る。
これがどういうことかを説明するためには、従来の社会における価値観が人々を幸せにしていたか、を考えるとわかりやすいでしょう。

従来の、宗教などに由来する単一の価値観の社会では、戒律を守ることと幸せになることの間には、どうしようもない隔たりがありました。
キリスト教やら仏教やらが本の方では挙げられていましたが・・・これらは厳しい戒律を自らに課すと、その前提の中で幸せになれるというルールです。

ですが現実には、そんなルールに従っても幸せを感じられる人は多くありません。そもそも、根本的に供給が足りていないので、隣人を愛する前に汝が死にそうな件について、という状態なわけです。
これらの社会では、ルールを守っていても必ずしも幸せになれるわけではない、という矛盾があったんですね。

その一方で資本主義と消費主義は、それぞれの戒律を守ることが幸せにつながります。
この点が、画期的なんですね。

また、それぞれの戒律・・・資本主義の戒律「投資しろ!」と、消費主義の戒律「買え!」は、お互いに矛盾しません。
それどころか、社会を回していくための原動力となっています。

ここまでくると、次の疑問が出てくるかと思います。

なぜ、消費主義を信じるのか?

資本主義を信じるのは問題ないでしょう。富めるためのルールですから、それを信じるのは問題ないはずです。
問題は、なぜ大衆は消費主義を信奉するのかです。

消費主義は客観的に見れば、資本主義を成り立たせるため、貧するためのルールです。
しかし消費主義の信奉者は、消費主義を捨てるなんて夢にも思うことはありません・・・一体、なぜでしょう?

サピエンス全史には、その答えもしっかり書いてあります。
しかしこれがまた、身も蓋もない理由でして。

テレビが言ってたから。

だそうです。いやはや・・・。

むすび:詳しくは読んでみてほしい。

というわけで、サピエンス全史を読んでたらなかなか衝撃的なことが書いてあったのでRTよろしく紹介したくなった話をしました。
僕らが信じていたのは、資本主義じゃなくて消費主義だったのか・・・という点がなかなか衝撃的でした。
資本主義のルールを理解しろ、といったことをお金持ちの方々が口を揃えて言うのには、そんな理由もあったのかな、と。

ところで今回の話には資本主義の成り立ちとか、そのあたりをすっぱり切り捨ててるんですが、もちろん本にはばっちり記載されています。
どうして西洋人が資本主義という思想を獲得するに至ったのか・・・とか、うん、凡庸なコメントで申し訳ないんですけど、面白いです。

ぜひとも読んでみてもらいたい本です。



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