音ゲーに見る脱力のこと

半年以上前の記事がほったらかされてたので公開。

最近スクフェスってゲームに熱を上げている。
 
ラブライブ スクールアイドルフェスティバル
http://lovelive.bushimo.jp/
 
音ゲーはあんまり得意じゃない・・・といいつつも、なんとか練習を続け、
たぶん人並みには遊べるようになっていると感じる。
☆10を回復敷き詰めて突破する程度。
 
そんな中で、ふとしたことで『脱力』って大事だなーと気付くことがあった。
それをちょっと書いてみる。
 
まず、僕にはどうにも苦手な譜面がある。
階段と呼ばれる、連続でノートが隣に移っていく、アレだ。
どれくらい苦手かというと、きっと青春が聞こえるのHARDフルコンに70回ほど
費やしてしまった程度だ(今ではHARD唯一のオールS評価曲である)。
 
話が逸れたが、この階段。
なぜ苦手かと言うと・・・僕の力ではどうにもできないのだ。
押したまま横にずらして認識されればいいのかもしれない(それはそれで
難しいだろう)が、そうではない以上、上げて下げてを繰り返さねばならない。
3つまでならなんとかなった。
だが、4つになった途端に、僕の指の限界を超えてしまったようで、どうにも
ならなくなってしまった。
 
だが、なんでか、たまーにするすると指が動くことがあった。
???と疑問符を浮かべている間に、他のところでミスをしてしまうのだが。
 
それは、今から思えば、指の感覚がない状態だったのだと思う。
感覚がないとは、力を入れていない、つまり脱力している状態だ。
 
感覚がなかったら動かせないじゃん、と思うなかれ。
そこは言葉のあやだ。
力は入っている。
 
たとえるなら、立ち続けるという動作があるけど、これは動作と書いたけど、
別に動いているわけではないし、本人的にも動いているつもりはない・・・
みたいな感じだ。
もちろん、意識の外で筋肉は仕事をしている。
といっても、その仕事量はとても少ない。
人間は、特に力を使わずに立てるような構造になっているからだ。
 
また話が逸れたが。
能動感のない筋肉の動きで、自分の望む結果を出す。
世間で言うところの、体が勝手に動いた、というやつに近いだろうか。
これが脱力の正体だ。(たぶん。)
 
能動感とは要するに実感である。
初心者は、この実感がないと「できた」と感じられない。(語弊があるけど無視する)
僕の場合、階段を押す際に全部実感を求めてしまっていた。
細かく言うと、指を「上げる」動作、「下げる」動作に実感を
求めてしまっていた。
実感があるということは、裏を返せば抵抗があるということでもある。
この場合、上げようとしていた筋肉に急制動をかけ、下げる動きに
転じさせるというのが抵抗に相当する。逆も然りである。
 
抵抗は、実感に必要なものではあるが、それ自体は目的の成就に対して
なんらメリットをもたらさない。
単純にデメリットである。
ある程度の領域では、そのデメリットがあってもどうにかできていた。
しかし、青春を聞こうとしたときに、とうとう抱えきれるデメリットが
限界を超えてしまった。
これこそが青春が聞こえない理由だった。
 
デメリットが出る方法で限界を迎えた以上、先に進むにはデメリットの
ない方法を取るしかない。
デメリットのない方法。つまり、実感のない方法。
つまり、脱力だ。
 
この後に、細かい脱力の理屈に付いて滔々と語ることができればよいのだが、
生憎と僕もまだ仮説以前の段階だ。
なんとなく脱力が鍵なんじゃないかな?と思っているというのが現状だ。
ここまで読んでくださった方がいたら申し訳ないのだが。
 
なので、脱力と共に重要そうな要素を挙げておくことにする。
たぶんこの辺をうまく扱えれば、上達が見込める。
 
・重力
・(押す、ではなく)跳ねる
・手をぷらーんとさせる
 
たぶん楽器にも応用できる考え方だと思う。
 
というかこの考え自体がドラムの応用だったりする。