良いお年をの意味を勘違いしてたんだけどそれを踏まえてもやっぱり残り期間じゃ何もできないよね

「良いお年を(過ごせよ、残された短い時間で過ごせるもんならな)」みたいな意味だと思ってたんですけど誤用なんですね。
正しくは「良いお年をお迎えください」だそうで。
知りませんでした。
ちょいちょいそういう勘違いがあります。
地球じゃないところで生まれた鴨……。

でもあれですね。

それを踏まえたとしても。
いい年を迎えられるかどうかなんて本人にはどうしようもなくないですか?
みたいなことを思ってしまうひねたクソガキのような感想を抱いてしまうわけですよ。
その調子でもう少し逆算すると良い年を迎えられるかどうかなんてのは日頃の心がけ次第でしかないわけで、そうなると「(残された時間でせいぜい)新年を迎える準備を頑張ってくださいね」という意味でもいいような気もしないでもないです。
となると、誤用の方の「良いお年をお過ごしください」でも別にいいのでは……?

なんて思ってたんですけど

違うみたいですね。
なんか正月に帰省したときに無意味に垂れ流されるテレビをうるせーなと思いつつ聞き流していたら、池上なんとかさんと学ぶ正月のそもそもの意味みたいなアレでやってました。
「良いお年を」というのは数え年が由来で、「無事に年を取れるようにせいぜい頑張れよ」というのが原義だとか。
今よりもだいぶん死が身近な時代においては、その一年が良いか悪いかなんて些事もいいところで、とにかく生きて迎えることができればもうそれだけで「良いお年」だったわけですね。
なるほど。
とはいえそんな意味だったとしても、現代で廃れていないところを見るとやはり存在しない「良い年」というものへの謎の憧れみたいなものを感じるような、そうでもないような。
あるいはなんとなく年末用の特殊な挨拶が欲しいからとか、なんとなく語感がいいからとか、他のを考えるのも面倒だからとか。
そのへんのもろもろの理由で生き残ってるんですかね。
知りませんけど。
そんな感じで今年もよくわからない方向に思考をねじれさせながらサンドバッグを殴り続ける所存です(てきとう)

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