個性というものがもてはやされる時代にあって、なんか画一的ですよね。みんな。

一億総中流。じゃないですけど。

東京のつまらなさの本質は、消費的にしかなれないこと。 : まだ東京で消耗してるの?
武蔵小山、月島、谷中……素敵な町並みはタワマンに壊されていく。 : まだ東京で消耗してるの?

みんな大好き高知の火炎系魔術師の記事です。

なんか以前から感じてたことが言われてて、「それだ!」ってなったので追従します。
自分で言葉にできるようになりたいものです……。

個性? ただのパターンだよね?

個性がー個性がーとか言われるようになって久しい世の中です。
でも本当に個性的な人って、単に異端として叩き潰されてますよね。

じゃあ 、どんなことが個性的かって言われると……。

狭い枠のなかでどうやって自分を表現するか。
決められた予算のなかで如何に着飾るか。

そういう方向に行っている気がします。

でもそれって個性というよりは、当然発生する誤差の一部でしかないのでは……とか。
パターンの一部ですよねそれ……とか。

そんなことを以前から感じています。

やってることは一緒。

君だけの最強のライフスタイルをつくり上げろ!!1!

みたいにもてはやされてますけど、その実、自分なりの消費の形を作り上げるだけ、みたいな。

そりゃあゲームとかならいいですよ。
公平にするために同じポイントを割り振ってキャラクターの強さを決めるとかバランスさせるとか同じアイテムを積めるだけ積んで性能をあげるとか
それは必要なことだし、理解もできるんです。
ルールの中で遊ぶためには、そういう制限が必要ですから。

でもなにも、それを現実にまで適用しなくても、とか思うんですよね。
同じグッズを積めるだけ積んで個性的だと思うとか。

こぞってラットレースしてる感じ。

そもそも不公平じゃないですか。
現実とかいうゲームは。
不公平だからこそあまりに理不尽な無理ゲーになっている部分を取り除こう。
そういう意味で、公平という理想が叫ばれるわけで。

でも今の社会って、なんていうか。

命というリソースを削って仕事に打ち込んで、稼いだ金というリソースを消費して命を回復して……というサバイバルを延々続けてるというか。

本当は労働と消費以外にも、CとかDとかEとか……いろいろな選択肢があるのに、わざわざ労働と消費だけしか使わない人ばっかりというか。

そういう盲目的な感じがある気がします。
ちなみに僕もC以降はよく知らないです。

変わってかなきゃいけないというか、生きられない。

今の仕組みって、たぶん万能じゃないんですよね。
いま僕たちがやってるラットレースって、人数制限とか時間制限とか、とにかくそういう要素で飽和するようにできてて。

で、悪いことには、そろそろ崩壊してきているんだけど、それで一生の成功体験を積んできている、ある程度積んでしまった層には、その仕組みが崩壊するということが理解できないという。

さらに、盲目的な人はどんどんこのレースに参加しようとしてるし、仕組みから弾き出された人も成功体験自体はあるから戻ってこようとするしで、まだまだ人気絶頂。
……のように見える。

これから先も、問題なく動いていく。
……ように見える。

そろそろレース会場が沈む気がする。

例えるなら、そろそろガタがきている船に、制限を超えた人数がしがみつこうとしている感じ……とでも言いましょうか。

船を動かし続けるには、中にいる人たちが異常なほど頑張らないといけない。
けど、仕組み的に外にいる人たちにまで仕事が回ってこない。

船にはどんどん人が取り付いているから盛況なように見える。
けど、ふと後ろを見るとついてこられなかった人たちの屍が取り残されている。

そういう感じ。
言いたいこと、わかりますかね。

むすび:何が言いたいか? それを考えさせたい。

というわけで、なんかなんの話かよくわかんなくなってきたんですけど。
都会って消費的だよねって魔術師さんの意見に同調して、自分たちの社畜スタイルを皮肉ろうと思ったけどうまくいかなかったってところです。

この手の問題って、正解とかないんですよね。
似たような問題を語っている媒体も、だいたいのものは答えを「見た人の胸の中」に委ねます。
7つの習慣でいうところの、パラダイムシフトをたくさんの人に起こしたいわけです。
思いやりのある世界って、そういうことだと思います。

今回書いた話は、最近Audibleで聞いた「正社員が没落する」に影響を受けてます。

2009年の本ですけど、状況はちっとも変わっていないと感じます。
鬱々しいけど面白いのでオススメです。
Audibleで聞くこともできますよ。

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